女性は結婚や出産によって、生活の中で優先すべきものが大きく変わります。
男性よりも女性の方がキャリアチェンジをする割合が多いのも当然なことなのでしょう。
しかし、結婚や出産をこれから控える女性にとっては、将来のキャリアビジョンを描きにくかったり、どこに焦点を当てて仕事と向き合えばいいのかわからなかったりすることもありますよね。
今回取材させていただいたのは、夫の転勤を機に地方(新潟)へ転居し、ご自身は2度の転職を経て”自分らしい仕事”を模索する古賀淳子さん。結婚、出産、子育てをする中で、変化する理想の仕事観と向き合っています。
パートナーの転勤、子育てによるキャリアチェンジの側面から、あなた自身のライフプランに活かせるヒントが見つかるかもしれません。
着実に積んできた、私の仕事
ー旦那さんの転勤を機に、キャリアチェンジを決断された古賀さんですが、それ以前のキャリアはどのように積まれていたのでしょうか?
古賀淳子さん:キャリアチェンジと転勤前は、とあるアパレルメーカーの品質管理を担当していました。
新卒では百貨店の販売職をしていたのですが、ライフプランを意識して転職。学生時代に学んでいた繊維に関する知識を活かしたいと思い、アパレル業界へとたどり着いて掴んだ仕事でした。
そこでは結婚、出産、育児休業と職場復帰などを挟みながら、約8年ほど正社員として働いていました。
ー20代で独身の時から、”家庭との両立”も重視しつつ”やりがい”も求めていたということでしょうか。
古賀淳子さん:そうなんだと思います。アパレル業界って、中途で採用される人は業界経験者が多いんです。だから、いくら学生時代に繊維の勉強をしていたとはいえ、私のように全く違う業界から転職してくるパターンはかなり少数派でした。
だから、働き出してから自分自身でもそこはネックになっていて、「前はどこにいたの?」や「未経験なのね」などと言われる度にコンプレックスのように感じていました。
過去を変えることはできないし、今から自分の強みになるものを得られないかと考えて、「繊維製品品質管理士」の資格を取得することにしたんです。この資格は、アパレル業界ではよく聞くもので、信用に直結するような資格です。私がこの資格を取得することは、会社への貢献にも繋がると思い、仕事の合間に勉強をして取得しました。
そういったこともあって、仕事にやりがいも感じていましたし、自分のキャリアをその会社で積み重ねていけている感覚はありましたね。
転勤と子育てに向き合う中、仕事は…
ーその後、1人目のお子さんを出産、職場復帰、さらに2人目のお子さんを出産した育休中に旦那さんの転勤によって地方(新潟)に転居されたのですよね。プライベートでの環境が変化する中で、ご自身のキャリアの将来に関してはどのように考えていたのでしょうか?
古賀淳子さん:1人目の育児休業を終えて職場に復帰する際、ちょうどコロナの流行と重なってしまい、復帰の時期が延長されたり、復帰してもコロナ禍なので職場の様子が変わっており、職場が産休前とは様変わりしていたんです。同僚の異動などもあって他の会社に来たようでした。
どう働いていこうかと考え始めたとき、復帰から1年もしないうちに2人目を授かって、また産休に入りました。
2人目が生まれる少し前に、夫の地方転勤が正式に決定し、夫だけ先に新潟へ転居しました。私は2人目の産後2・3ヶ月目までは東京で2人の子供を完全にワンオペで育てることに。
このタイミングでは、私自身も育休がはじまったばかりだったので、キャリアのことはひとまず置いておいて、まずは家族揃って過ごせることを第一に考えていました。
新潟での生活に慣れてくる中で、少しずつ自分のキャリアについて考え始めました。
私の仕事は製品そのものの品質を直に確認しなければいけないため、リモートでの勤務が難しく、職場に復帰するには夫だけを転勤先に残して東京に戻る必要があったんです。
ーたとえ時短勤務などであっても、幼い子ども2人を働きながらワンオペで育てるのは明らかに大変なことですから、そう簡単には決断できませんよね。
古賀淳子さん:そうですね。新潟に引っ越す前の数ヶ月間ワンオペで3人暮らしをしていた際、産まれたばかりの下の子のお世話で一杯一杯になっていて、上の子にキツい態度をとってしまったこともあったんです。あの頃のことを思い出すと、上の子に可哀想なことをしてしまったと、今でも胸が苦しくなります。
だから、職場復帰はしたかったですし、自分が積み重ねてきたものを手放したくはなかったのですが、子どもたちの未来のためにベストな選択がしたかったので職場を退職することにしました。この時が、一番切なくて、正直辛かったですね。
埼玉出身で、ずっと東京で働いてきた自分が、これまで繋がってきたものといよいよ本当に切れてしまう感覚でした。職をなくすことで、社会との繋がりさえも切れたように感じましたし…。
母になれて家族が増えて幸せな一方で、私自身のキャリアを考えると、とても切なかったですね。
転勤先で見つけた”私のやりたいこと”
ー家庭を持った時点で、自分の人生は自分だけの人生ではないから、難しいところですよね。その後の転職活動では、キャリアにどんなことを求めていたのでしょうか?
古賀淳子さん:その時点で上の子は幼稚園に通っていたため、預けられる時間の関係上、パートタイムでしか働けないという制約がありました。
仕事内容に関しては、自分は何がしたいのかと考えた時、1番に感じたことは新潟への感謝でした。とってつけた言葉のように聞こえてしまうかもしれませんが、これは本当にそうなんです。
2児の母になったと同時に、見知らぬ土地に移り住んできて、あらゆることに不安を感じていた時期もありました。そんな中、子育て支援センターのスタッフさんや幼稚園の先生、ママ友達など、周囲の人の優しさが私には何よりの救いでした。
多分、私の人生でこれほど誰かに感謝して、恩返しがしたいと思ったことなんてないんじゃないかな?と思うほど、新潟の人たちの優しさが心に沁みたんです。
だから、この時の転職活動では「新潟の会社で、新潟の人のためになる仕事」を条件に選びました。
新潟の人のためになることって何なのか考えたところ、「情報系かな?」と思い、新潟の生活情報系webメディアの運営会社にパート社員として採用していただきました。
ー制約はあれど、フラットな状態で「自分は何がしたいのか」と考えることができたのですね。
古賀淳子さん:そうですね。ここにきて初めてのベンチャー企業だったので、いろいろ新鮮で、働くことが楽しかったです。パート社員でも代表の考えを直接聞けるほど会社内の人との距離感が近かったり、裁量の広さなど、これまでにはなかった仕事感覚を知ることができました。
でも、そうなると私にはだんだん欲が出てきちゃったんです。
これまで経験してきた職場よりも、少数精鋭で一人一人が力を発揮している中、自分はパートタイムなので勤務時間もやっていることも少なく感じました。もっと役に立ちたい、貢献したいのに、という思いが膨らんできてしまって。
上司に相談したところ、短時間勤務で正社員を登用した事例がなく、業務的にも難しいことから、転職を決意しました。
次も「新潟の会社で、新潟の人のためになる会社」という希望は変わらず。そして偶然shabell(弊社)と出会って、今に至ります。
転勤族の妻で母親だけど、働き続ける
ー”何がしたいのか、どう働きたいのか”という、ご自身のキャリアに対する願望と、母親業との兼務にもがいていたのですね。その悩みや葛藤を経験した上で、いまの古賀さんがキャリアに求めていることは何ですか?
古賀淳子さん:シンプルに子育てと仕事の両立ですね。
私の場合、夫の転勤に合わせて新潟に来たため、数年後にはまた他の地域に移ると考えられます。また、新潟の次の転勤先がどこであれ、上の子が小学校を卒業する頃には東京に戻りたいと考えています。
一方で、新潟への想いも私の中では大きいんです。
今回の転職活動でも、辞退してしまった会社さん、退職した前の会社ともに、私のわがままでお断りや退職の申し出をしているのに、「また働きたいと思ったらご連絡くださいね」と声をかけてくださったんです。
社交辞令かもしれませんが、それでも心温まる言葉ですよね。どちらも新潟の会社でしたから、やっぱり新潟の人って優しいし温かいな、と感じました。この先、新潟を離れてからも、いろんなカタチで新潟に関わっていきたいと、本気でそう思いますね。
少し逸れてしまいましたが、そういったことを踏まえて、私は仕事内容には”やりがい”とか”自分自身の成長”を求めていますが、仕事環境には”柔軟性”を求めています。
そこには、母になっても自分のキャリア形成を諦めたくない想いが根底にあるのだと思っています。
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今回は、夫の転勤と子育てなどの壁にぶつかりながら、自分らしいキャリアの形成を諦めずに模索する古賀さんにお話を伺ってきました。
女性の人生は、その時々によって重要とするものが移り変わります。そこに加えて転勤ともなれば、一層キャリアの形成が難しくなってくることでしょう。少し前なら、転勤を機に仕事を辞め、キャリア形成を諦める妻たちが多かったかもしれません。
しかし、多様な働き方が普及した今、追い求めさえすれば自分らしく働き続けることは可能なのかもしれません。
- 古賀 淳子さん
こが じゅんこ|会社員埼玉県出身。大学卒業後、百貨店での販売職、アパレルメーカーの品質管理とキャリアを重ね、夫の転勤を機に新潟へ転居・退職。専業主婦を経て新潟で新たなキャリアをリスタート。現在は株式会社shabellの新サービス「しゃべりお」の運営に携わる。