ニッチな世界で日本一を目指す!魚沼でスッポン養殖ビジネスを始めた井口陸弥さんの挑戦

井口陸弥さんサムネイル

今回取材したのは魚沼スッポン井口陸弥さん。

北海道大学でアワビの陸上養殖を研究したのち、一旦は東京のベンチャー企業で働きますが「自分自身の本当の強み」と向き合う中で、Uターンを決意。
「強みを活かして日本一に!」という意志のもとスッポン養殖で起業をしました。

どうしてスッポンの養殖ビジネスを展開しようと思ったのか。
「起業は孤独との戦い」といわれることが多い中、地元魚沼でどんな未来を描いているのでしょうか。

この記事を読んで自分にとって成長や人生のヒントが得られるかもしれません。

今の時代のキャリア選択、あなたは何を軸にしますか?

 

地元魚沼でスッポンを養殖しよう!と決意

井口陸弥さん魚沼スッポン創業当初

ー魚沼市でチャレンジ支援事業の第1号である「魚沼スッポン」について、構想からの歩みを教えてください。

井口陸弥さん:スッポン養殖ビジネスの構想を最初に練り始めたのは、僕が新卒で入った会社を辞める直前でしたね。元々僕は就職活動で150社近くの選考を受けて、ほとんど落とされていたんです(笑)その中で出会ったのが、新卒で入社したベンチャー企業の社長さんでした。

その社長さんは本当に尊敬できる方で、起業家として今でも教訓になっている言葉をたくさんくれました。
その教えの一つに「自分に合っていないと思ったことは、今すぐにでも辞めたほうがいい。自分の得意とする領域を理解して、そこで思いっきり勝負を仕掛けろ」という言葉があったんです。

実は、僕は営業やテレアポがつくづく性格に合っていなくて、自分の中で限界を感じ始めた時に”他の人にはないような自分の強み”とはなんだろうと考えてみたんです。
”他の人にはない”となると思い浮かぶのは大学時代に養殖をしていた経験です。この養殖経験を自分の強みにできないかと考えました。

しかし、養殖ビジネスは設備などに係る初期投資がとてつもなく高額で、まずは初期投資を抑えられるものにしたかったんです。また、サーモンや鰻などは大手企業が参入しており、個人ビジネスでは到底敵わない。だから、ニッチな領域、かつ初期投資があまりかからない、そして単価の高いものは何かと考えました。

リサーチした結果、思い浮かんだのが「スッポン」でした。
スッポンは肺呼吸のため、水がどんなに汚れていようが生きていける。つまり濾過器がいらないから設備費が削減できる。「スッポン養殖、いける!」と思った瞬間でした。すぐに「Uターンしよう」と決意し、気がついたら地元に戻っていました(笑)

その後、約1年間はインプット期間としてコンビニの深夜バイトや家庭教師をしながらリサーチと準備を進めました。実際にスッポン養殖をされている業者さんに学ばせてもらったり、補助金獲得の準備など、とにかくいろんなことをしていました。

 

ーそして2021年秋から冬にかけて、支援事業認定、会社設立、スッポンの飼育開始、と進まれていったのですね。

井口陸弥さん:そうですね。2021年の秋頃から補助金が降りたことで飼育実験に動き出せました。2022年の11月には各イベントに出展したりして、来春の販売に向けた広報活動に取り組むようになりました。
2023年の春、いよいよ初めての水揚げです!

 

スッポンと養殖、それぞれのルーツ

井口陸弥さん釣り写真

ー幼い頃から水産物に興味はあったのですか。

井口陸弥さん:幼い頃から釣りが大好きで、大学生の頃には釣り部としてマグロなんかも釣ったりしていました。釣り好きになったきっかけは、田舎育ちということもあって、幼い頃から父がよく釣りに連れて行ってくれていたからですね。
小学生時代は登校前に釣りをして、学校が終わったらまた釣りに行って、みたいな生活をしていました。釣り馬鹿ですね(笑)

 

ー高校時代に何か没頭してたものなどはありますか。

井口陸弥さん:物理と数学にとにかく没頭してましたね。

元々僕は、小学生の頃からずっと剣道を続けている剣道少年でした。しかし、将来を意識した時、たとえ剣道で日本一になったとしても将来食べていけないのではないかと疑問に思え、「自分にとってこれ以上剣道を続けることは何にもならないのでは?」と思ってしまったんです。

結果、高校入学後は剣道を続けず、自分の中で目標を失ってしまったんです。ある意味”燃え尽き症候群”のようになっていました。

高校入学当初は勉強の成績も良くなくて、それを見かねた親が塾に通わせてくれたんです。そこで勉強へのモチベーションが少しずつ上がっていきました。同時に、当時放送していたドラマ「ドラゴン桜」を観て、さらに意欲も上がっていきました。

剣道じゃもう登り詰めていけないけど、勉強ではどんどん上に昇り詰められるんじゃないかと思いました。

井口陸弥さん新卒

ー大学卒業後に広告会社に就職したのにはどんな理由や考えがあったのですか。

井口陸弥さん:僕は、そもそも年収で会社選びをしていました。年収1000万を超える会社に絞って就活をしていたんです。
なぜかというと、僕は人生においてランボルギー二を購入することが大きな目標なんです。その目標を達成させるためには1000万円以上の年収が必要です。
就活の際にも、その目標は正直に主張していました。だから「志望動機」を聞かれると必ずそのまま答えていたんです。
結果的に、150社近くから、いつも面接で落とされました(笑)

そんな中、説明会などで前職の社長と出会い、そこでもまた正直に話をしたんですが、それが逆に面白いと評価されて入社に至りました。
結局は、最終的な入社の決め手となったのは”人”だったということですね。

 

ー退職、Uターンした後の約1年間は、どんなことを考えていましたか。

井口陸弥さん:約1年間ほど模索していた時期は、既にスッポンには目をつけていたので、目標は明確でした。スッポンの生態について学んだりしていたので、やることがないということはなかったです。
しかし、社会へのつながりがなかったり、学び以外何もしないのは避けるように親からも言われたりしていたので、アルバイトをしていました。
今とそんなに変わらないのですが、目の前のことにワクワクしている感覚ですね。

 

ー日々挑戦だと思うのですが、今の事業の中で壁に直面した経験などはありますか。どのように乗り越えたのですか。

井口陸弥さん:いくつかの困難はありました。スッポンという生き物を飼育することに、温泉水を活用しているので、成分的なもので乗り越えなくてはいけない障壁はいくつもありました。

困難に直面したとき、僕の場合はいつも起業家の先輩たちが支えてくれます。特に、僕みたいな起業家に伴走することを事業としているSocialups株式会社の高瀬さんには、いつも弟のように面倒見てもらっています。

起業家として、苦しい時などを共感してもらえるので、本当にありがたい存在ですね。高瀬さんや起業家の先輩や仲間がいなかったら、きっとこれまでに何度もメンタルやられていたと思います(笑)

 

日本一のスッポン養殖を目指して

井口陸弥さん友人と

ー今後、海外輸出などの展開は考えていますか。

井口陸弥さん:僕個人のリサーチ結果でしかないのですが、おそらく国内産スッポンの海外輸出は現状ゼロなんです。それは、単純に輸出のノウハウを持った生産者が業界にいないことが大きな要因なのではないかと思っています。

スッポン養殖業界は、生産者の平均年齢70.1歳、そのうちの約75%は後継者がいない状況です。このような現状下では、経営を続けていくことが何よりも重要で、輸出などに目が向かないのは仕方のないことだと思います。

しかし一方で、規制の厳しい日本で飼育された養殖スッポンは、世界にとってはプレミアがつくほどの価値があるものだと思います。ですから、その価値を、正しく世界にアピールし、発信していく挑戦は絶対にしてみたいと思っています。

 

ー目下で直面する課題はなんですか。また、それに対しての取り組みや今後の展望を教えてください。

井口陸弥さん:課題としては、スッポンの飼育数を増やして、いかに養殖規模を拡大できるかだと思ってます。
おそらく現状の国内スッポン養殖会社は、2万匹を最大規模として生産していると思います。したがって、僕の目指すところは2万匹以上のスッポンを飼育して、日本で一番大規模にスッポン養殖している会社にすることですね。

やるからには、「日本一」の称号を狙っていきたいです。
その上で、自分たちが社会に対してどんな面白いことをしていけるかが課題だと思っています。

株式会社魚沼スッポン井口陸弥さんピッチにて

 

***

 

今回はスッポンでビジネスを展開している井口陸弥さんに取材を行いました。

ビジネスは「アイデア」と「発想」であると感じさせられました。だから面白いし夢がありますね。

まだあまり手が付けられていない産業やサービス。

ニッチなところにいかに目をつけるか、そのヒントは意外と人生を振り返ると転がっていたりするかもしれませんね。

記事内でも述べられていたように、「スッポン養殖」は水産養殖業界の中でも極端に若手が少ない業界です。

今後、そのスッポン養殖業で井口さんはどのようなパフォーマンスを見せてくれるのでしょうか。

地元魚沼からの新たな挑戦にniigatabaseは引き続き注目していきたいと思います。

 

井口 陸弥さん
いぐち りくや|経営者


1994年生まれ、新潟県魚沼市出身。地元の高校卒業後、2014年に北海道大学に進学。在学中は、アワビの陸上養殖の研究を行う。新卒で医療系人材紹介ベンチャーへ就職。同年秋に、地元魚沼市へUターンし翌年「株式会社魚沼スッポン」を創業。2022年11月には、クールジャパンin新潟出展などを果たし、活動を本格化している。

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