小学校教師の五十嵐健太先生が目指すウェルビーイングとは!2度の留学を経て、教育への貢献を考える

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今回は新潟市で小学校の先生を務める五十嵐健太先生にお話を伺ってきました。

昔から、比較的どの年代でも「なりたい職業ランキング」の上位にランクインする「学校の先生」
しかし、近年は学校の先生たちのフィールド自体が変動の時代にあるのではないかと思います。

私たち大人が受けてきた学校教育とは異なる教育のあり方が求められている中で、先生としての活動の幅や学ぶ意識の高さに私が驚かされた方、それが五十嵐健太先生です。
五十嵐先生は、AI時代やグローバル時代の教育について積極的に学びを求め、ご自身が身を置く教育現場ではICT環境への適応に取り組んでおられます。一方で、地元西蒲区(岩室地区)の間瀬集落における持続可能性に取り組む、「間瀬未来会議」という活動の代表も務めていたり。

そんな五十嵐先生は、教育の未来を、ご自身の活動の方向性をどのように見つめているのでしょうか。
そのルーツから、先生としてのいま意識していることまで、インタビューの中で伺ってきました。先生を目指している人も、そうではないけど教育領域の関心がある方も、ぜひ「きっかけ」や「ヒント」を見つけてみてください。

 

現在の活動は、何のためか

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ー学校教諭という枠組みの内外でさまざまな活動をされている五十嵐さんですが、その軸にはどんな想いがあるんでしょう。

五十嵐さん:私が挑戦している活動の全ては、「ウェルビーイング」というテーマを軸にしているんだと思います。本業である学校の先生は、子どもたちの今や将来に対するウェルビーイング、間瀬でやっている活動は地域住民のウェルビーイング、NPOでの活動も先生方のウェルビーイングに繋がるものだと思っています。※ウェルビーイング…身体的・精神的・社会的に良好な状態にあること

もちろん、一つ一つの活動を始めた時は、そんなことは意識していませんでした。ただ自分がワクワクすることや楽しいと思うことであったり、故郷が廃れて取り残されていくことに対する危機感だったりから始まっていますね。

 

ー特に教育領域に関しては、どんな未来を思い描いて活動しているのでしょうか。

五十嵐さん:教育領域に関しては、価値観のアップデートが必要だと思って活動しています。今の教育が悪いとか、価値観が古いと言うつもりはありません。ですが、どんどん変わっていく時代や社会に応じて、いかにうまく新たな価値観を取り入れていくかは取り組むべき課題だと思っています。
AIやChatGPTが出てきている中で、それらを敵対視するのではなく、きっと向き合って取り入れる必要がありますよね。
学校の先生たちの中でも、もっと学びたいとか、もっと変えていきたいと考えている方も多いと思います。しかし、それには助けとなる座組や人材が必要です。そういったICT領域は、僕自身は得意だと思っているので、アップデートをする手助けがしたいですね。

起源となった経験

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ー学生時代から、先生を目指していたのですか?

五十嵐さん:高校生まで、将来の夢は特に決まってなかったですね。最初は体育の先生をやりたいと思っていましたが、勉強しているうちに検察官や弁護士に興味をもって法学部を目指しました。しかし成績が伸び悩んで、結果的に教育学部を選びました。実は先生になりたいから、という明確な理由で教育学部に進学したわけではなかったんです。

 

ー当時は、どんな将来をイメージをしていたんですか?

五十嵐さん:大学に入学した頃は合格した嬉しさが先立って、将来や卒業後のイメージはほとんど抱いていませんでしたね。
進学した新潟大学の学科は、教員免許を取らなくても卒業できるところでした。教育学部の他学科では、教員免許を取らないと卒業できませんが、私のところはそうではなかったので、ある意味自由に学べたと思います。
2年生になると留学を経験したので、その期間(1年半)は自分を大きく変えてくれたと実感しています。

 

ー留学が人生を変えたんですね。どこに留学されたのでしょうか。

五十嵐さん:中国です。
きっかけは、大学1年生のときの授業で、恩師である先生と出会ったことです。
その先生は講義の中でよく「中国はおすすめ」とおっしゃっていました。新潟大学教育学部には、毎年11月に学生たちが中国に行って現地の学生と交流するプログラムがありました。それまで全く中国語を学んでこなかった先輩でも、そのプログラムをきっかけに留学して中国語がペラペラになり、中国語検定2級くらいまで取得できたという話も聞いていました。そんなこともあって、中国への留学も考え始めていました。

私は元々、中国語ではなくドイツ語の授業を受けていたんです。
小学生の頃に外国人のホームステイ先として、家にドイツ人を招き入れたことがあり、いずれは私がドイツに行って友人に会いに行きたいと思っていたんです。
しかし、ドイツへの交換留学は理系の学部生にしか用意されておらず、教育学部だった私がドイツに行くには交換留学以外の手段を探さなければいけませんでした。
そんな悩みもあって、教育学部の先生に相談をしたら中国を勧められ、中国への留学を決めることになりました。

 

ー実際、中国語は喋れるようになりましたか?

五十嵐さん:流暢に喋れるようになって帰ってきましたよ。それどころか、大学の先生が現地にやってきて講義や交流をする際に、アテンドや通訳ができるくらいに語学力が伸びました。
語学学校ではなくて、現地の大学で中国語を学びましたが、新潟大の学生たちに向けて中国語の授業を用意してくれていたので、そこでひたすら鍛えられました。

 

ーそして3年生の途中で帰国し、就活を始めたのですね。

五十嵐さん:そうです。留学を経て、中国と日本をつなぐ仕事がしたいなと思い始めました。
最初は商社などをイメージしていて、商社関連の就活イベントに行きましたが、イベントはほとんど東京で開催している上、他の参加者はネームバリューのある大学ばかりで,引け目を感じていました。
中国語が話せたので多少自信があった私も、英語はそこまで自信がある訳ではなかったため、3ヶ国語が普通に話すことができる学生が何人もいる世界の中で、すぐに自信を喪失することになりました。
そこで新潟を中心とした就活にシフトチェンジしました。新潟では,中国語ができることは大きなアドバンテージになった気がします。内定をいただいた会社もあったのですが、自分が本当にやりたいことは何かと考えたときに二の足を踏んでしまい、結局その道には行きませんでした。

 

就活での挫折から、軸が見えてきた

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ー最終的には教職大学院へ進むことを決めたんですよね。

五十嵐さん:就活をしている頃に、大学の先生から翌年4月から教職大学院ができることを聞いて、ぜひ受けてみたいと思いました。そして、無事に進学が決まりました。教員免許を持ってない人も大学院に進むことはできますが、教員免許を取ることが必須とされていたため、まずは2年間をかけて免許を取得しました。
内定をもらった後、冷静にやりたいことは何なんだろうなと改めて考えたときに、「中国」と「教育」という2つの軸を大切にしたいなと思いました。それで、教職大学院への進学を決めました。留学の経験も大きかったですね。留学は自分の人生を変えたものでもあります。

 

ーその後、「トビタテ!留学JAPAN」で再び中国に行ったそうですね。

五十嵐さん:当時は,また留学に行くなんて考えていませんでしたが、中国がすごく好きになり、日本に帰ってきてからも日本と中国を行き来して交流を続けていたんです。そんな中、大学教授から「もう一回中国へ留学に行ってみない?」と言われ、最初は驚きました。話を聞くと、経験や学歴も不問の「トビタテ!留学JAPAN」という奨学金制度があることを聞いて、面白そうだと興味がわきました。
一番惹かれたのは実践活動ができる点。交換留学生として現地大学へ通うのではなく、インターンをしたり、ボランティア活動をしたりできるとのことでした。私の状況なら、中国の小学校で教育実習をするという新しい試みができるので、すぐに挑戦してみようと決めました。そして大学院4年目の後半6ヶ月間で留学することが決まりました。

もともと、私が触れ合ってきた中国人のレベルの高さ、思考レベルの高さみたいなことには興味があって、そういう方たちを育てた義務教育ってどんなものなのかと思っていたんです。
最初の留学でも、小学校を訪問して交流する機会はありましたが、学校にいられるのは1日か半日だけです。それだけでは、現地の小学校のカリキュラムなど全体像をまるごと理解することはできませんでした。だから、トビタテで半年間行って、普段の学校を長期間かけて見てみたいという思いがあったんです。

 

ー中国の教育の現場は実際どうでした?

五十嵐さん:2度目の留学に行く前から、中国の教育の凄さは感じていましたが、実際に目でみてからは一層その思いが強くなりました。興味があったことはどんどん中国の先生に質問して、資料をたくさんもらって調べたり、日本の教育制度と比較したりして、研究を進めました。
中国で書かれた論文の数って、アメリカよりも多くて世界一なんです。もちろん人口が多いことも一因ですが、AIの研究とか先端分野での論文がたくさん出ています。留学を通して、その根底にある義務教育の一端を垣間見ることができました。

 

自分にできる教育への貢献

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ー五十嵐先生が「先生」として意識していることはなんですか?

五十嵐さん:当たり前のことを“当たり前”と思わせないようにはしたいですね。
先生の話を聞くとか、宿題をやるとかであっても、なんのためにそれをしてるのかというところを、子どもたちと一緒に考えていきたいです。
また、子どもたちを一つの世界に閉じ込めないで、いろんな可能性を引き出していきたいです。
先生が子どもを見るときに「可能性をみる」という意識は大事だと思っています。
算数が得意じゃなくても、走るのがすごく得意とか、ピアノを弾かせたら上手とかもありますし、授業においても子どもと先生が同じ対象を見て、一緒に学んでいくみたいなことが大事なのかなと思います。
例えば、子どもが国語の授業で物語や文章を読んでいるとします。その物語や文章について、先生が全て説明してしまうと、子どもたちが考える余白が少なくなってしまいます。
子どもたちはそれぞれ違う考え方を持っているから、それを活かして一緒に「問い」に対する「答え」を探っていきたいです。

 

ー素敵な考えですね。でも、例えば子どもが言うことを聞かないときは、どのような対処をしているんですか?

五十嵐さん:いくつかパターンがあると思います。例えば、授業中に立ち歩き始めた子どもがいたりしたら、「友達のところに聞きにいってもいいよ」と言ったりして、席を立つことが目立たない内容に変えます。そういう子どもの行動に合わせた学習活動の変換もあるのかなと思います。
右向け右で左向いている子がいても無理やり右を向かせないで、みんなに左を向いてもらえばいいという考え方ですね。
それでも右を向かせたいときは、その理由を理解してもらえるように説明します。

 

ー日本の教育業界に感じる課題や、こうしたいという目標はありますか?

五十嵐さん:今は全国的に、子どもを主語にした教育とか、子どもたちを誰一人取り残さない教育とか、子どもたちのウェルビーイングを実現するということがよく言われています。子どもを主語にした教育が謳われる背景には、子どもが主語になっていない教育が現場で起きていると,ある大学の先生に言われたことがあります。同様に、子どもたちのウェルビーイングを実現するという目標の裏には、子どもたちのウェルビーイングを実現できていない現実があるという捉え方もできるということでした。

今までは、なんとなく先生の言うことを聞いて、勉強したり運動したりしてきましたが、何をどうやって学ぶのかは、子どもたちが決めても良いんじゃないか。もちろん全部を一から決めることは難しいと思うので、こういう方法もあるよとか、この内容がいいんじゃないということをアドバイスしてあげるのが、新しい先生の姿なのかなと考えています。

ただ、子どもたちにどこまでは教えて、どこからは一緒にやっていくか、そのバランスが難しいと感じています。自分もまだうまく出来てはいませんが、教えることはしっかり教え、子どもたちが自由に学べるところは自由に学べる環境をつくっていきたいですね。

 

ーある意味、教育者も子どもに立ち返って、フラットに子どもと向き合う姿勢が求められているんですね。

五十嵐さん:そうだと思います。やっぱり時代が変わっているというのは大きいと思うんですよね。
一流大学に入って、一流企業に勤めて、定年まで働いて、それで退職して老後を過ごす、みたいなある意味答えがわかっているような時代ではもうありません。

一流企業に入っても、何があるか分からない時代ですし、社会で求められるものが変わって、一流企業の価値がなくなってしまうこともあります。そういう時代だからこそ、どうしたら良いか自分たちで考えなきゃいけない。そういう意味で、教育の在り方も意味も変わっていくんだろうなと思います。

 

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今回は、新潟市の小学校の先生である五十嵐健太先生にお話を伺ってきました。

最初から先生になろうと思って大学に進学したわけではなかった五十嵐先生だからこそ、中国への留学経験や一般起業への就活経験がいま財産として活かされているのだと思います。

子どもたちや先生たちのウェルビーイングを、学校の中のいち教員から起こすアクションに今後も期待しています。

 

五十嵐 健太
いがらし けんた|小学校教員


1993年生まれ,新潟県新潟市出身。新潟大学教育学部在学中には,交換留学で中国に1年半滞在,新潟大学教職大学院在学中には,文部科学省官民協働プロジェクトである「トビタテ!留学JAPAN」に採用され,中国広東省広州市の小学校で教育実習を行う。現在は,新潟市の小学校の先生として働く傍ら,地元地域のまちづくり団体の代表やNPO法人の理事を務めている。