人の輪を作る仕事とは?旅から見つけた株式会社リビタ原田智子さんのキャリア

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今回は株式会社リビタ原田智子さんにお話を伺ってきました。

新潟駅直結のレンタルスペースやワークラウンジを併設した複合スペース『MOYORe:
その運営を担当するコミュニケーションマネージャーの原田さんは、
現在の職に着くまで「旅をしながらお仕事をしてきた」といいます。
そこから、旅をアテンドする側であるゲストハウス運営を経て、現在は新潟で「コミュニケーションをとる役目」をもって活動されています。

そもそも「コミュニケーションマネージャー」とは?
元々は原田さんがやっていることって何なのかという問いから出てきたワードらしいのですが、この記事ではコミュニケーションをマネジメントするという役割にのせた原田さんの想いに触れていきます。

“普通”にはないものを教えてくれたのが旅だった

MOYORe:

ー現在勤めている株式会社リビタに出会う前、「旅をしながら働いていた」という原田さんですが、実際にどうやって旅を仕事にしていったのか教えてください。

原田智子さん:私が学生の頃は、ちょうど就職氷河期で、卒業後そのまま就職すること自体が難しかったんです。元々、幼いころからなんとなく「普通の大人になりたくない」と思っていたところがあり、卒業後は特に何かをするわけでもなく少しふらふらしていました。

その間に、「旅をしながら仕事ができないかな」と考えたことをきっかけに、リゾートバイトのエージェントに登録し、シーズンごとのリゾートバイトで生活するリズムが形成されていきました。

 

ー「旅をしながら仕事ができないかな」と思ったきっかけは何だったのでしょうか?

原田智子さん:元々どこかに行くのが好きで「旅」に惹かれていたのですが、直接的なきっかけは友人から勧められた1冊の本でした。

すべてが平凡だった筆者が二十歳で無一文からバーをはじめたり、自伝を出すための出版社をつくるストーリーだったのですが、本を読んで初めて「こういう生き方もあるんだ」って知ったんです。

自分の興味をきっかけに、その時に感じた思ったままを行動に移してみる面白さに気づかされ、それまで漠然と「個性のない人生は嫌だ」と思っていたことに対して、大きなヒントがもらえたように感じました。

その本を読んだ後、初めて沖縄を訪れました。その時は普通の旅行でしたが、次第に日本各地を少し長めに訪れるようになり、宿泊場所もホテルや旅館ではなくゲストハウスに変わっていきました。そうする中で、自分らしい人生を送るには刺激が必要で、私にとってはそれが旅だと自覚していったんです。

 

人に流されず、好きなことをしなさい

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ー「普通の大人になりたくない」という価値観は、どこから形成されていったのでしょうか?

原田智子さん:どこからでしょうね。とにかく昔から、人と被ることが嫌な性格だったんです。好きなことや興味のないことも、明確に分かれていましたね。

大人になってから聞いた話ですが、父親も私たち子どもが生まれるまでは、いろんな仕事を転々とやっていたらしく、その時々で好きなことを仕事にして、最終的に1番やりたいことに出会えたのだとか。だから、無意識のうちに「人に流されずに、自分の好きなことをしなさい」というマインドが受け継がれていたのかもしれません。

 

ー潜在的に”人と被らない本当に自分がやりたい選択”をとる意識が定着していたのですね。

原田智子さん:そうかもしれませんね。周りの人に影響を受けることはなかったですが、自分が好きだと思ったものは自分でよく調べたり自然と行動を起こしていました。

きっと、自分で”自分の好き”を見つけ出して深めていくことが好きなのかもしれません
だから、知らなかったものに出会える”旅”にハマっていったのでしょうね。

 

ー旅をしながら働く生活ができるリゾートバイトでは、どんなところを訪れたのでしょうか?

原田智子さん:リゾートバイトでは、まずは知床やトマムなど北海道の各地を訪れました。北海道で生まれ育ったのに、北海道のことをあまり知らなかったので、ホテルや旅館で働き、生活しながら毎日新しい発見があることが楽しかったです。

それから日本各地で、ワンシーズンだけの寮で共に過ごす仲間たちと、その土地の環境や食べ物、暮らす人との触れ合いを楽しむ生活を送っていました。

忙しくてもとにかく毎日楽しかったので、あまり仕事という感覚はありませんでしたね。

 

ゲストハウスで味わった”時の流れ方”

ーゲストハウスのマネージャーもしていたのですよね。リゾートバイトからどうやって繋がったのでしょうか?

原田智子さん:リゾートバイト先で、オーストラリア出身の友人ができたんです。シーズン終了後にその子を訪ねてオーストラリアに遊びにいったのですが、長期滞在なこともありいろいろなゲストハウスに泊まってみることにしたんです。

沖縄での旅もそうでしたが、ゲストハウスでは、宿のスタッフがフレンドリーで、お客さんと従業員の関係というよりは、フランクに話をして、一緒にご飯を食べに行ったりする友達のような関係性でした。

私がリゾートバイト先で仲間たちとやっていたようなコミュニケーションがそこにあることに驚いて。私が知らなかっただけで、日本にもこんな仕事ができる場所があるのかもしれないと思って帰国し、すぐに求人情報の中からバックパッカーズホテルを見つけ出して応募しました。

そうして、飛騨高山のゲストハウスで働くことになり、飛騨の土地が大好きになって6年半勤務しました。
飛騨はとても住みやすく、いい町でしたよ。仕事もゆとりがあって、出勤前に朝からスノーボードをしに行ったり、登山や川遊びをしたり、仕事も遊びも関係なくほぼ毎日海外のゲストと一緒にあちこち出かけていました。あの”時の流れ方”が好きでしたね。

 

旅する側から、旅してもらう側へ

ー自分が旅するように働いていたリゾートバイトから、旅する人の”時の流れ”をアテンドする人のような存在になったのがゲストハウスのスタッフ時代、ということでしょうか。

原田智子さん:そうですね。その転換は、オーストラリアに滞在していた時の、とあるおじいちゃんとの出会いがきっかけかもしれません。

私が1人でカフェにいた時、突然フランクに話しかけてきたんです。最初はこちらも警戒していたんですが、日中で周りにたくさん人もいたし、時間もあったのでなんとなくお話を聞いてみることにしたんです。近所に住んでいて毎日このカフェで読書をしているそうで、その後も自分の住む町のことをたくさん教えてくれました。帰り際に明日どこかを案内しようか?と言われたのですが、さすがに怖いかも…と即答せず戸惑っていたら、身分証明書までみせてくれたので、そこまでするならちょっと冒険してみようかなと覚悟を決めました(笑)

そして後日、車で8時間もかかるような絶景スポットに連れていってくれたり、家族のいる家に招いてくれたりもしたんです。
本当にいい人だったことは、たまたま私がラッキーだったのかもしれませんが、地元の人とその土地を旅する時間の面白さに触れた瞬間でしたね

こんな過ごし方、コミュニケーションの取り方ができる仕事があったら、楽しいだろうなと思ったんです。

 

ーその経験があっての飛騨のゲストハウスだったのですね。天職に巡り合ったように思うのですが、そんなゲストハウスを辞めたのはなぜでしょうか?

原田智子さん:飛騨のゲストハウスでの生活は凄く楽しかったのですが、元々オーナー自身がDIYをし、使えるものはそのまま使っているような施設だったので、私が5・6年勤めた頃には、あちこち修理が必要になってきていたんです。

私はそういった作業が不得意で、手一杯になっていた頃、ちょうど飛騨から程よい距離の金沢にリノベーション会社がつくる新しい宿泊施設ができると聞きつけました。そこなら設備は十分だろうし、地域密着型という今までになかったコンセプトに惹かれて応募することにしました

そうして、リビタへ入社し、金沢の前に東京の清澄白河のホテル立ち上げに携わり、金沢を経て、現在の新潟に至ります。

 

地域に密着したコミュニケーション

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ーリビタの宿泊施設の特徴は、”地域密着型”であるところですよね。外の人間である原田さんが地域密着を作るために、そして地域に入り込むために、やっていることは何でしょうか?

原田智子さん:まずは、地域の方とコミュニケーションをとることから始めますね。
人と出会えそうな場所やお店を訪れて、その地域のキーマンを探すんです。面白い人に出会えたら、繋がりを広げていきます。
やっていることってそんな感じに、ただひたすらコミュニケーションをとっているだけなんですけどね。

できた人脈から、イベントを企画したり、手伝ったりして、地域の人との関係性をさらに築いていきます。それが、私が今やっている仕事ですね。

 

ーイベントなどは、原田さんのコミュニケーションにかかっているわけですね。”楽しそう”と企画したものをカタチにするまでの難しさはないのでしょうか?

原田智子さん:いつも意識していることは、いまの自分のやりたいことや協力できそうなことは何かを口に出すことですね。いつどんな形で実現するかはわからなくとも、ずっと口に出し続けていればいつかカタチにできる瞬間が来るものです

そう思っているので、無理矢理何かをしようとはせず”タイミング”を待つこともあります。そのタイミングの確立を上げるためにも、日頃からみんなが今やりたいことや求めていることは何なのか?の情報収集のためのコミュニケーションは欠かせませんね。

 

新潟の内と外を繋ぎたい

ー原田さんが新潟でやりたいことはなんでしょう?

原田智子さん:『MOYORe:~みんなの駅の交流拠点~』の開業がきっかけで新潟に来ることになりましたが、ここ数年はコロナの影響で、なかなかやりたいことができない日々でした。

その中でも、地域で活動するさまざまな方たちとの出会いがあり、それぞれの方法で行動を起こしているカッコいい人たちが新潟にはたくさんいることを知りました。時には、自分が行動する必要なんてないのかな、と思ったこともありました。

しかし、だからこそ今、私は新潟の中の人と外の人を繋げる役割を果たしたいと考えています。どの地域にも同じ目的を持って活動をしていたり、価値観が近そうな人がいると思っていて、そういった人たちを繋げられたら思いがけず面白いことが起こるんじゃないかなと勝手にわくわくしているんです。

地方には地域特有のしがらみがあるのは事実で、本当はやりたいことがあっても何かいわれまいと敬遠するような雰囲気があると思いますが、私はそれを振り切る手助けをしたいです。「あいつにそそのかされてやっちゃったよ」という言い訳でもいいので、間に立つ立場として役立てたらと思います。

今、新潟で起こっていることや人にたくさんの出会いの点を繋げて面を拡げていったら、もっとそれぞれの叶えたい生き方が実現する世界になると思うんです。そんな、きっかけになれるような人の輪をつくり続けていけたらと思っています。

 

***

 

今回は株式会社 リビタの原田智子さんにお話を伺ってきました。

取材の最後には、「コミュニケーションマネージャーとは、人の輪を作る仕事」と話してくださいました
”普通”ではなく自分らしさを求めて、旅から教わった価値観のもとに、『MOYORe:』でワクワクする出会いが作られていくのでしょうね。

新潟駅という交通や交流のターミナルで、これからどんな面白いことが始まっていくか楽しみです。
ちなみに、『MOYORe:』で9月に開催される注目イベントについては、こちらをチェックしてみてください。

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原田 智子さん
はらだ ともこ|コミュニケーションマネージャー


北海道札幌市出身。旅好きが高じていろいろな土地を旅をしながら仕事をするうちに、国内外からバックパッカーが集まるゲストハウスのマネージャーを務める。その後地域密着型ホテルの求人を見つけたことがきっかけで株式会社リビタに入社。LYURO東京清澄の立ち上げや、地域人材の発掘、THE SHARE HOTELSの支配人としてホテル運営を経たのちに、現在所属する地域連携事業部へ異動。2020年9月からは新潟駅南口にあるシェア型複合スペースMOYORe:のコミュニケーションマネージャーとしてイベント企画を推進しながら、あそぶ・まなぶ・はたらくを実践中。2021年12月、新潟市へ移住。

『MOYORe:』HP:https://www.moyore-niigata.jp/
株式会社リビタHP:https://www.rebita.co.jp/