2022年5月某日、新潟のイノベーション拠点NINNOで全国のエンジニアを招いたイベント「スクラムフェス新潟」が開催されました。
このスクラムフェス新潟は、ソフトウェア開発を中心としたエンジニアコミュニティの祭典です。開催したのは、ウイングアーク1stの伊藤潤平さん。
イベントに参加したエンジニアからは、「とにかくじゅんぺーさんの熱い思いが伝わってきた」「じゅんぺーさんの人望と熱意の賜物」「みんながじゅんぺーさんの熱意に巻き込まれた奇跡のような2日間」などと、口々に伊藤潤平さんを絶賛していました。
多くの人を巻き込み、新潟に新しい風を吹かせている伊藤さんの、その熱意や魅力はどこからきているのか。
普段エンジニアのイベント等では触れられることのない、伊藤さんのルーツについて伺ってきました。
手探りの中で飛び込んだ海外留学
ー伊藤さんは高校卒業後にアメリカへ留学をされていたのですよね。
伊藤潤平さん:そうです。中学生の頃、僕の英語の成績があまりにも酷かったため、心配した両親がたまたま道で会った外国人に「息子に英語を教えてくれ」と頼み込んだんです(笑)すると、その外国人がたまたまALT(外国語指導助手)をされている方で、快く引き受けてくれました。
そしてその外国人と親友のように仲良くなり、高校卒業時には彼らの出身地であるアメリカのミネソタ州に留学しようと考えたんです。
ー誰に相談してどうやって留学したのでしょうか。
伊藤潤平さん:自分の高校に相談しても前例がなかったので、留学については自分で調べました。アメリカの語学学校で半年間英語を勉強して、その後短期大学を卒業し、4年制大学に3年生から編入しましたね。
ー何かとお金がかかるイメージがある留学ですが、実際のところを教えてください。
伊藤潤平さん:なるべく安い短期大学を選んだので、学費は日本で進学するのと大差ありませんでした。
後に、4年制大学にも編入したんですが、留学生がボランティアをすると授業料が半額になるという制度があったので、地域の人に剣道を教えるボランティアをしていました。それで学費は半額に。
ただ、生活費は“円高の時にまとめて振り込む”というスタイルをとられていたので、しょっちゅう口座のお金が底をついて、友達から借りていました(笑)
そのため、衣食住はかなり質素に生活していて。ミネソタの冬ってマイナス30度くらいになるんですが、僕が貧乏学生なことを分かっているホストファミリーは服をくれたりして、「日本人にしては珍しいくらいの貧乏っぷりだよね」なんて言われていました(笑)
新潟でエンジニアをするのが理想的
ーその後、就職は日本でされたんですよね。
伊藤潤平さん:そうですね。留学生向けの採用イベントに参加して、数社ほど内定をもらった中から決めました。
そして、どこかのタイミングで新潟に帰ろうとは決めていたので、3年ほど東京で経験を積んで、新潟にも拠点のある会社に転職をしました。
ー新潟に帰ろうと明確に決めていたんですね。
伊藤潤平さん:そうです。いつかは新潟で悠々自適に暮らしつつ、地元に貢献したいという気持ちがありましたし、東京に一生は住めないと思っていました。
自然と触れ合える子育てみたいなのに憧れていましたね。
ー新潟へのUターン転職はどうでしたか。
伊藤潤平さん:当時の僕の計画としては、東京で3年程度勤めてから、佐渡でITの会社に入社して、自然と触れ合える生活を送りたいと思っていました。
そして、運良く佐渡に支社がある企業に転職したんですが、タイミングが悪く半年で倒産してしまい、それから派遣として勤務した会社が、今でも勤めているウイングアーク1stです。
ーウイングアーク1stには、派遣からの入社だったのですね。
伊藤潤平さん:そうですね。かれこれもう15年ほど勤めているので、そう思うと長いですね。今は品質保証部門の部長をやっています。
元々ものづくりが好きだからエンジニア業務もやりたいんですが、最近は専らマネジメント業務の方が多いです。
だから社外活動か社内活動なのかよくわからないところで、エンジニアを集めてわいわいとイベントをやっています(笑)
世界のエンジニア祭典を新潟に
ー昨年から伊藤さんが開催しているスクラムフェス新潟ですが、そもそもスクラムフェスとはどういったものなのでしょうか。
伊藤潤平さん:専門的な話にもなるんですけど、元々IT業界のコミュニティはテストとアジャイルで交わらない、同業者だけど2つの世界のような感覚があるんです。ものづくりの世界の、作り手側と試運転側という感じですね。お互いが相手のやっていることをそんなに知らないので、コミュニティが別になる。
今回のスクラムフェスは、テストコミュニティとアジャイルコミュニティを繋げたら面白いだろうと思って、日本ではじめてその試みをしたものでした。
ー2つのコミュニティを交わらせようとしたきっかけはなんだったのですか。
伊藤潤平さん:ドイツで開催されているAgile Testing Daysというカンファレンスを新潟に持ち込もうと考えたのが始まりでした。その際に仲良くなったベルギー人のダニエルが、あまりにも楽しそうに参加していたので、つい「新潟でもやるから来てくれないか?」と誘ったところ、快く引き受けてもらえました。
元々、新潟でも何かやりたいという想いがあったので、自分が吸収したものを新潟に持ち込むことができる点と、テストとアジャイルが交わる新しい切り口が開けるという2つの目的が叶うチャンスが開かれた瞬間でしたね。
ー1人の想いから、どうやって新潟を巻き込んでいったのですか。
伊藤潤平さん:開催においてはNINNOの存在が大きかったです。新潟で新しいこと、面白いことをやろうと思ったらここ!っていうような場所が既にあったことは有り難かったですね。また、コミュニティの力は偉大で協力してくれる人がいっぱいいたため、人集めにはそんなに苦労していないですね。ある程度、既に括られている業界ではあるので。なにやら賑わいそうなイベントがあると知ったら、行きたいと思ってくれるエンジニアはある程度いますからね。
エンジニアの繋がりが新潟を変える
ー伊藤さんが自身のキャリアを形成する上で、指針としていることはなんですか。
伊藤潤平さん:意識していることは「人のために尽くせ」という親からの教えですね。住んでいる地域のために尽くすとか、困っている人がいたら面倒を見るとか、奉仕をするとか、とにかく他者にGIVEをするという感覚です。
また、佐渡という環境に生まれ育ったことも起因しているかもしれません。島だからこそのコンパクトさがあって、困った時は必ず近くの人が助けてくれるみたいな面倒見のいい地域で育ったんですよね。だからこそ、その感覚はどこにいようがどんな時でも絶やさないよう意識している気がします。
ー伊藤さんの視点からみて、これからの新潟に期待したいことは何ですか。
伊藤潤平さん:人と人がつながって、その先の人まで連鎖的につながっていくのが面白いですよね。思わぬ所がつながって面白いことが起きることを期待しています。
例としてNINNOでは、「スクラムフェス新潟」以外にも「NINNO tech Fes」や「産産官学」や「Fooin」など、ワイワイした動きがよく見られます。そういった動きの中で開催者の想定を外れた新たな繋がりが生まれたりして、派生していけたらいいですよね!
ーイノベーションは出会いの場から、ということですね。
伊藤潤平さん:そうですね。どんどん新しい環境に飛び込んでいける流れを作れたらいいですね。
エンジニアの世界でいうと、新潟には適正価格で雇用されていない人もまだまだいます。
出会いと気づきの場があることによって、労働市場も変えていけるかもしれないですし、そうなるともっと面白い人も集まってくるかもしれません。それが産業の発展にもつながっていくだろうと思っています。
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今回は、ウイングアーク1stの伊藤潤平さんにお話を伺ってきました。
組織人でありながら、自身の感情を素直にカタチにする自由人、少年、のような伊藤さんに、お話を伺う中でその明るさやエネルギーを分けていただいた気がします。
世界の人を楽しませるような企画を新潟に!
個人の出会いや気づきが、地域そのものを大きく変えていくのだろうと思えたお話でした。
- 伊藤 潤平さん
いとう じゅんぺい|エンジニア
1980年、佐渡市相川町生まれ。アメリカに留学後、大塚商会のグループ会社にてヘルプデスク兼SIを担当。新潟にUターン後、現在のWingArc1stへ入社。現在はソフトウェアプロセス&品質改善部マネージャーを務める傍ら、Scrum Fest Niigata実行委員会代表、JaSST Niigata実行委員会、SEA SigSQAメンバー、品質管理学会員、YouTube翻訳活動など多方面で活躍中。最近ハマっていることは、家庭菜園。
伊藤潤平さんBLOG:https://medium.com/@sadonosake
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