今回は家族でUターンをし、新潟の地で起業をされた木村愛子さんにインタビューしました!
木村さんのこれまでのキャリアや、地方で働くということ、育児との両立についてなど幅広くお話していただきました。
キャリア形成に悩んでいる女性の方に特に読んでいただきたい記事となりました。
知らないことに挑戦していきたい
ー学生時代はどんな学生だったんですか?
木村愛子さん:千葉大学出身で、教職をとっていた関係で授業だらけの日々でした。サークル活動には入らず、とにかく勉強とアルバイトと、という4年間でしたね。
教職に関しては、幼稚園の先生と小学校の免許を持っています。
先生になりたくて免許を取りましたが、大学生活の後半で研究室に入って分析や集計をやっていたら、どうもそっちの事務作業のほうが好きだなと思いはじめたんです。
学校でクラスをまとめたりというよりは、一般企業に入って仕事をしたいなと思い、現在のキャリアを選びました。
ー学生って大手かベンチャーかでまず迷うのかなと思うのですが、ベンチャーを選んだ理由はなぜですか?
木村愛子さん:実家が自営業で、両親と祖父母が常に家で仕事をしていた家庭で育っていたんです。
そんな生活をしているうちに、自然といずれ自分でやりたいなという気持ちが湧いてきて、ベンチャー企業を中心に見ていました。
ベンチャーの風土がとても合っている気がしたのも理由の一つです。
ー最初の会社が倒産されたとのことですが、その時の心境はどうでしたか?
木村愛子さん:ほんとに修羅場みたいな時期がありましたね。
私は経理部門にいたので、雲行きが怪しいのは感じていて。給与の支払いが2ヶ月遅れちゃったりとか、ちょっと危ないなと思う時期もあったりしました。
倒産後は不安もありましたが、端的に言うと人の温かみを感じられました。
取引先の方や上司が私の転職先を手配してくれて駆け回ってくれたり、うちの会社を受けてみたらどうですかと言ってくれて、優しさを感じましたね。
ーその繋がりで次のキャリアのメガベンチャーに入られたんですか?
木村愛子さん:いえ。どんなところで働きたいか問いかけた時に、全然知らないところに行ってみたいという気持ちが強くて(笑)あとは、大きい企業も経験してみたいなと思い、2社目は一般事務として中途で転職しました。
その後は、1社目でお世話になった方に声をかけていただいたんです。
エンジニアとしての採用でした。感覚としては転職というよりは1社目の会社に戻ったという気持ちに近いですね。
ー一般事務からエンジニアですか!?
木村愛子さん:はい。でも未経験ではないんです。1社目の会社で既にやっていて、事務職だったんですが、社内でデータベースの管理運用をやっていました。
そこでの実績も評価していただいて声をかけてもらえました。
ー3社目の選択肢として、当時は東京から出られるということはまだ考えられていなかったのでしょうか。
木村愛子さん:全く考えていなかったですね。地元に帰っても、絶対に自分が楽しいと思える仕事はできないと思っていたので。
あとは、プライベートの時間の過ごし方も、東京はやっぱり充実してたので。友達もたくさんいて、東京での生活には何も不自由を感じていなかったですね。
進化を続ける新潟
ー実際にUターンを考えられたタイミングっていうのはいつ頃だったんでしょうか。
木村愛子さん:子どもが二人いるんですが、限界を感じていたんだろうなと思います。夫がその時建設作業員で、朝も早くから仕事に出たり、夜勤があったりの肉体労働だったので、育児はほぼワンオペでした。
夫の実家の近くに居たのでサポートはしてくれていたんですが、やっぱり自分の親ではないので遠慮してしまったりですとか。しんどさを感じていた時に、祖母の言葉が蘇ってきたんです。
私が大学進学をする際に「女は実家の近くに居たほうが絶対にいい」と言っていて、その通りかもなと思ったんです(笑)。
ー「仕事と育児を両立するために」新潟に戻られたんですね。
木村愛子さん:そうですね。専業になろうという考えは全く頭の中には無かったです。
実家が自営業だったことや、自分の身近に専業主婦が居なかったというのが大きいのかなと思います。そんな環境で育ってきてたので、自分が仕事を辞めて専業主婦になるというのは考えられなかったですね。
新潟市はもともと共働きの文化というか、政令指定都市の中で一番共働き率が高い都市なので、割と仕事してらっしゃるお母さんたちも多いんです。
ー実際新潟に戻った時、イメージとのギャップはなかったのでしょうか。
木村愛子さん:イメージの差というよりは、当時私が10代の頃に知っていた地元と、今の地元とでは全く違うと感じました。ベンチャー企業もすごく増えてきていますし、企業を支援しようという流れがあったり、自分たちと同じ世代の30代40代の方たちが町おこしをしようと頑張っていたり。
具体的に言うと、古い民家を再生して飲食店にしたりなど新しい取り組みをたくさんされていました。
その新潟の進化に火をつけられたというか、刺激を受けたところはありますね。
今のこのタイミングだったら自分も地元で働くイメージが湧きました。新潟での暮らしも、とても合っていたと思います。不自由なく仕事と育児を両立できています。
ー新潟で起業しようと思われたきっかけをお聞きしたいです。
木村愛子さん:もともと学生時代から起業に興味があって、今だ!と思うタイミングがやってきたので、決意しました。
ただ、起業の道を歩むにあたってやはり不安はありました。事業計画を立てて、0から稼いでいかなきゃいけないという責任感は、会社員のときにはなかったことなので。
ー新潟県の支援や、ウェルカムな風潮など「新潟だからこそ」というのがあるからこそストレスなく起業できたというのが大きいのでしょうか。
木村愛子さん:そうですね。ですが、1年目はお客さんが居ない状態で新しく新規顧客を探していくというところだったので、しんどさを感じることもあります。
ーどのように基盤を作っていかれたのでしょうか?
木村愛子さん:SNS経由だったり、あとは新潟市の企業支援施設に株式会社スナップ新潟というところがあるんです。
そこの方々が色々話を聞いてくれたり、人を繋いでくれたりしたので、そういうところで1年目の基盤というか2年目へのステップアップができたかなと思います。
また、印象に残っているのが横のつながりの強さです。
新潟に限らずだとも思いますが、サポートしあって共に進んでいくというのを感じられたので、温かいなと思いました。
女性のキャリア形成の可能性を広げたい
ー次に木村さんの会社でのお話を聞かせてください。
木村愛子さん:今はバックオフィスで使うような管理システムの開発をメインに行っています。
例えば、ECサイトを運営している企業さんに対して、今までは手打ちで作成していた発注書を、自動で作ってくれるようにしたりとか、顧客管理のシステムを作ったり。
あとはからあげ屋さんでこれからデリバリーを始めたいという会社さんに対して、【注文が入ったら、店のモニターに「〇〇の注文が入りました、〇時に〇〇を届けてください」】という表示をするシステムだったり。
その後のデリバリーもスマホにデータが自動で飛んできてナビゲーションを起動して配達できるようにする、などです。
アナログなものをデジタル化するお仕事ですね。
ーローコード開発を得意とされているとのことですが、ローコード開発について教えて下さい!
木村愛子さん:予めシステムのベースみたいなものがあって、そこから部品を組み合わせて欲しいアプリを組み立てるというものですね。
ローコード開発をメインで行ってはいますが、新潟の企業さんは割と部分的なシステムというよりかは全体的に提案することが多いんです。そうなるとローコードではカバーしきれないので、部分的に違う会社さんにお手伝いをしてもらって、なるべく期待に答えられるようにしています。
ー新潟と東京を比べると、東京のほうがシステム化が進んでる飲食店だったりも多いのかなと思うんですが、差を感じることはありますか?
木村愛子さん:ありますね。インターネットとかで見ても、検索をかけてもなかなか情報が出てこないとか、東京と違ってネット上で情報を集めにくいあたりは、まだIT化は進んでないのかなという気もします。
でも東京よりも進んでいる側面もあるんです。
例えば子どもの幼稚園とか保育園とか、私立園は東京よりも数が多いので、そういうところはすごくIT化が進んでて、東京よりすごいじゃんっていう印象を持ったりもするんですよね。
ー会社としての展望を教えて下さい。
木村愛子さん:あまり大きい野望みたいなのはなくて、自分ができることを地域に還元できたらいいなと思っています。
あとは、個人のお話になってしまいますが、やりたいことを一生懸命やることで、新潟での女性のキャリア形成を変えていきたいですね。
新潟は女性のキャリアが限られているので、しっかり実績を残せるんだよっていうのを自分を通して地域に見せていけたら素敵かなと思っています。
まだ新潟には女性の代表の方はそんなに多くない印象なので、増えていってくれたら嬉しいですね。
経験と繋がりを大切に
ー新潟へのU/Iターンについてはどう思われますか?
木村愛子さん:Uターンに関してですが、中途は戻ってきてほしいなと思います。でも新卒はどうだろうな。せっかく東京に行ったのなら、たくさん経験してきてほしいです。
良いものを吸収して地元に持って帰ってきてほしいですね。
ー新潟の良さを教えてください!
木村愛子さん:人が本当に優しいです。さっきもお話したんですが、横のつながりをとても大事にしているので、外から人が来てもその人たちを尊重して、誠実に対応してくれます。情に厚い人は多いです。
実際に振り返ってみると、他の道は想像もつかないですし、東京にそのまま残ってたとしてもしんどかったんじゃないかなと思います。今の人生はとても楽しいです。
私が生きる上で大切にしていることは、「楽しくお仕事すること」で、そのために頑張るというのは大事にしているので、後悔や、あの時ああしておけばよかったなあという悔いは全く無いです。
あとは、自分自身のこのUターンの経験から、子どもにも一度は東京など外の世界に行ってみてほしいなと思いますね。やっぱり外の世界を一回見るというのは大事だと思うんです。
ー視野を広げたり経験を積んだりという意味では必要なことなんでしょうか。
木村愛子さん:そうですね、私も仕事柄、業務改善というのをやっているので、その場所しか知らない人たちが必死にアイデアを絞っても出てこなかったりするのを見てきました。
外の取り組みや事例などを体験してくることで、ここをこうしたら良いのにというアイデアも出てくると思います。今の日常と違う部分を見てくることは視野を広げる上でもとても大事なことだと思います。
ーshabellの世界観についてどう思われますか?
木村愛子さん:今回shabellさんからお話を頂いたきっかけは取材だったので、オウンドメディア視点のお話になってしまうんですが、記事を通してその人と喋りたいな、繋がりたいなと思った時に直接連絡が取れるというのはすごく良いサービスだと思います。
私はSNSでメッセージを送ったりして情報を得ていたのですが、多くの方が私のように積極的に行動できるわけではないと思うので、たくさんの人の人生や職業を記事を通して知れるのはとても心強いんじゃないかと思います。
ー若い子たちが経験積んで、新潟にUターンIターンすることもあると思うんですけど、そんな子達へのメッセージをください。
木村愛子さん:固定概念も入ってしまいますが、古いやり方やこれが正しいと思っている大人が地方には多い印象があります。変化に対して前向きじゃない所があったりもするので、そういった点は外から来た人のほうが怖い物知らずと言うか、ズバッと言えると思うんですよね。
なのでそういう「若さ」とか「新しさ」というところを強みにして地元の変化を後押ししたり推進できるような、そういう人になってほしいです。
東京だとすごい人はたくさん居ますけど、新潟は人口がそんなに多くないので、自分自身に力がなかったとしても「こういうのがやりたい」と伝えれば応援してくれる人たちがたくさんいます。
これは地方の良さですね。
***
今回は、家族で新潟にUターンをして、株式会社pepoという会社を経営されている木村愛子さんにインタビューさせていただきました。
家族で生まれ育った新潟の地に帰ってきたからこそ、見える世界も変わると語る木村さん。
木村さんは女性のキャリア形成の可能性を広げていくことに加え、そんな「新潟の今」を変えていきたいと仰っていました。
Uターン人材として、そして一人の女性としても前線で活躍する木村さん。今後の活躍も楽しみです!
shabellbaseでは今後も多種多様なキャリアを築く方々を紹介しています。
あなたの夢探しやライフプランに役立つヒントを見つけてみてください。
- 木村愛子さん
きむら あいこ|起業家
家族で新潟市へUターンをし、ローコード開発で中小企業のDXを支援する「株式会社Pepo」を設立。
「新潟での女性のキャリア形成を変えていくため」に、女性として、そして経営者として最前線で活躍されている。
株式会社PEPO:https://www.pepopepo.jp/
起業率低い新潟、だからチャンス! 既にご存知な人も多いかもしれませんが、新潟県の開業(起業)率は全国的にみても、最下位に近い低さです。 その原因と考えられているのは、廃業率の低さ、起業志望者の県外流出など。 廃業率が低いことは良い[…]