テレビの枠を越えて、地域と共に!BSNディレクター高橋さんが考える、地方放送局の可能性とは

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今回取材をさせていただいたのは、BSN新潟放送高橋紘子さん。

配信コンテンツが多様化している近年ですが、それでもテレビやメディア関係の仕事に憧れている人って多いですよね。

高橋紘子さんは、地方テレビ局のエリアプロデュース担当として、地域と放送局の可能性を模索しています。情報を多くの家庭に届けること、そこから広がるテレビの制作側のお話や想いに触れることができます。

 

身近だったテレビの”制作側”に

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ーまずは、テレビ局へ入社した経緯を聞かせてください!

高橋紘子さん:私は五泉市の生まれなのですが、学校もスクールバスで通うような地域で、家の近くに同年代の友達が少なかったので、テレビが身近な存在でした。子供のころからテレビをよく見ていて、落ち込んだときもテレビに励まされていたくらいです。
高校生のころから新潟を出たいと思っていて、大学は都内の大学に進み、就活のときは東京での就職を考えていました。マスコミ業界に興味があって、特に制作の場が楽しそうというイメージで、テレビ局に魅力を感じていました。

ですが、希望していたマスコミ業界に東京で就職することは難しく、結局新潟の放送局に就職することにしました。はじめは新潟に戻ることに迷いを感じていましたが、実際にテレビ制作の現場で働いてみると新潟の魅力を再発見できて。今でも人との出会いなどを通して、日々改めて新潟の魅力を感じますね。

 

ーどうしてマスコミ業界に関心を持ったんでしょう。

高橋紘子さん:大学は社会学部だったのですが、メディア論などの授業もあったので、周りにもマスコミ志望が多かったんです。名物講義の一つに、実際にマスコミ関係で働く方にお話していただく講義があったりして、それを目当てに入学した人もいました。私は知らずに入学したのですが、授業や周りの人の影響で、マスコミを考え始めましたね。

 

ーテレビ業界でのお仕事はどのように行われるのでしょうか?

高橋紘子さん:キー局だと分業されているのですが、うちのような地方局では、入社してすぐに名刺には「ディレクター」と書かれて、実体としてはなんでも屋です(笑)

番組によってはプロデューサーのような仕事もしますし、なんでもやって一人前という感じがあります。
初めて担当したのは、夕方の情報番組の1コーナーでした。カンペを出して生放送番組の進行をしたり、カメラマンと取材に行ったりしていましたね。徐々に自分がやる領域が増えていって、今では、番組の企画・取材から編集して運行するところまでが仕事です。キー局では分業している仕事も、最初から最後まで携われます。

 

ー番組作りにおいて、高橋さんが意識していることはありますか?

高橋紘子さん:私は「ヒト」に興味があるので、その魅力が伝わるヒューマンドキュメンタリーを制作したいと思っています。
当然のことかもしれませんが、新潟で取材をしていると、人と地域の繋がりを強く感じるんですね。どの方も自分のことだけを考えていなくて、町全体のことを考えているんです。そういう方々の話を聞いたり、私が新潟に戻ってきて魅力を再発見した経験から、「地域」も私にとって重要なキーワードになっていきました

 

 

そして、地域プロデュース担当へ

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ーキャリアにとって重要な転換点はありましたか?

高橋紘子さん:転機となったのは、2020年に下田米をPRするイベントを開催したことです。

『新潟の端には何があるのか』という企画の取材を通して、県境ならではの文化や味わい深い暮らしを目にするとともに、中心部から離れた地域の深刻な過疎化を実感しました。私はテレビ番組の制作者として、そういう地域の魅力を発信することはやってきたつもりでしたが、私自身が何か地域の方と一緒になってできることはないのか、と考えるようになっていきました。

そんなときに、三条市下田で作られている下田米が、美味しいのに認知されていないということを知り、下田米の美味しさを発信するイベントを開催したんです。地元の小学生や、米農家さん、地域おこし協力隊の方々やシンガーソングライターの方も巻き込んで、地域の方々と一緒に、皆さんが楽しめる場を作り上げることができました。

この経験をきっかけに翌年の春からは、そういう一緒に作り上げる場を増やそうという目的で、地域プロデュース担当になりました。ちょうど会社の変革期だったこともあり、すぐに新しい部署の立ち上げに繋がった感じですね。新潟放送が創業70周年を迎えるにあたり、時代に合わせた新しい放送局の在り方を考えていて、会社として地方創生に取り組もうとしていたんです。

 

ー新しい部署の立ち上げということで、大変なこともあったのではないですか?

高橋紘子さん:立ち上げたばかりの時は何をしたらいいかわからなかったのですが、燕三条のものづくりを応援する仕掛けを情報番組でしてみたり、新潟地酒にもっと親しむための提案型の番組をニュースの特番でやってみたり、番組のジャンルをまたいで新しい企画に挑戦していました。

「ラポルテ五泉」という施設の設立の時には、行政の方から「市民が愛着の持てる施設にしたい」というお話を聞いたので、完成前に開かれた子どもたち向けのワークショップを撮影し、”みんなが携わって育んでいく”イメージをCMにしました。スポンサーになってくれる地元の企業を探し、ラポルテ五泉の周知にもつながった企画でした。

クライアントではないところから課題を見つけて提案することで、テレビ(放送局)が地域のためにできることってまだまだあるのではないかな、と感じています。

 

 

「いいな」を増やしていく

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ー今、課題に感じていることはありますか?

高橋紘子さん:人と人を結び、新しい価値を生みたいという考えで、「BSNおむすび支局」を立ち上げました。
現在、地上波の「おむすびチャンネル」で、U・Iターンをしてきた方々を紹介する「Nターンズ」シリーズを放送しています。
放送だけでなく配信やWEBで情報を伝えることで、人が集まる地域づくりのお役に立てればと思っていますが、どのように広がりをつくっていけるのか模索中です。

新潟には独自のメディアが多いので、いろんなメディアが連動してできないのかな、とかも思いますね。それぞれが独自の切り口から見ているのも面白いですが、連動して何か出来たら面白いと思うんです。

 

ーこれからの目標は何でしょう。

高橋紘子さん:放送コンテンツを通して、関係人口を増やしていきたいです。
地方局で制作したものは基本的にその地方でしか放送できない決まりがあるので、ローカルだからこそできることをしたいですね。
まずは、地域づくりに尽力している方々の悩み事を一緒に解決したり、人と人をつなげて広げていったりしていきたいですね。その結果、「人が集まる場」づくりにつながっていけばいいなと思います。

 

ー新潟に対して、今はどんな思いを持っていますか。

高橋紘子さん:新潟に戻ってきて、取材を通して新潟の人に多く会う中で、関係をもつ人が増えて、好きな人が増えているんですよね。いいな、と思うところが増えてきました。
「いいな」と思えるところって、どの地域にもあると思うんです。そういう魅力を作っていったり、見つけていったりすることが、個人の幸せにも繋がるような気がしていて。その手助けができたらいいですよね。

 

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よくある「Uターンしました!そしたら新潟が大好きになりました!」ではなく、等身大の思いを聞かせてくれた高橋さん。
飾らないその姿勢で発する一言一言からは、地域の役に立ちたいという思いや、地域の方々への敬意が伝わってきました。

地方の活性化のために、自分ができること、みんなとできること。
ローカルメディアに何ができるのか、何をすべきなのか、改めて考えさせられました。

間違いなく、新たな発見につながります。
皆さんもぜひ、こんな思いを知ったうえで、ローカルメディアに触れる機会を増やしてみてはいかがでしょうか?

 

高橋紘子さん
たかはし ひろこ|テレビディレクター


1984年生まれ、五泉市出身。県内の高校卒業後、法政大学社会学部へ進学。新卒でBSN新潟放送へ入社。情報バラエティやドキュメンタリーなどの経験を経て、現在はエリアプロデュース部ディレクターとして、放送局が地域に寄り添ってできることを模索している。

BSNおむすび支局 公式チャンネル:https://www.youtube.com/@bsn2212/featured