母になっても働き方に多様性を!やりたいことの先に出会った「コミュニティデザインの考え方」

本間千尋さんサムネイル

今回は、株式会社studio-Lでフルリモートワーカーとして新潟から勤務する本間千尋さんにお話を伺ってきました。
長岡市出身の本間さんは、横浜の大学を卒業後、地元の朝日酒造に就職します。

その後、出産を機に上京し、約2年前にご家族揃って新潟へUターン。
女性として、母として、ライフスタイルが多様に変化する中で”自分自身のやりたいこと”を具現化した働き方を実現されている本間さん。

”やりたいこと”をどうやって見つけ、それを自分のライフワークとするためにどんな軸で行動してきたのか。
その先から、本間さんが母として子どもたちに見せたい世界、自分の人生で大切にしたいことを覗きます。

 

世界や地域の多様性に触れてきた学生時代

ー本間さんは大学で情報工学を研究していたんですよね?

本間 千尋さん:はい、大学では自然言語処理という分野の研究をしていました。入学当初はアナウンサーか報道記者になりたかったのでメディア論を学びたいと思っていたんです。ところが、勉強をしているうちに文章の構造に興味を持ち始めて、論文の自動採点機能の研究室に入りました。元々、アナウンサーや報道記者に興味を持ったのは、高校1年生のときにアメリカで開催された国際交流プログラムに参加して世界中の同世代の友人たちと出会ったことがきっかけでした。住んでいる国によって、ものごとの捉え方や考え方が違うことに衝撃を受け、自分の目や耳でもっと広い世界が見たいと感じるようになったんです。その後、友人たちと一緒に長岡市の国際交流センター「地球広場」で様々な国について知ってもらうイベントを企画したり募金活動をする中で、何か世界に貢献できる仕事がしたいと思うようになりました。

そういった経験から、自分の目で様々な世界を見ることができ、かつ人に伝えることもできる報道やメディアに関心を抱き、大学はメディアについて研究できる学科を中心に探したんです。また、大学時代には国際交流センターに出入りしていた高校生の時に出会った「模擬国連サークル」に4年間所属し、積極的に活動していました。

本間千尋さん模擬国連参加時

ー「模擬国連サークル」とはどんな活動なんですか?

本間 千尋さん:まさに”国連会議”を模したように、一人ひとりが国の代表者になりきって、一つの議題に対して議論します。それぞれの国益を最大化するために、その国の歴史的背景や過去の発言などから、自分の主張内容を考えるんです。
大学4年生のときには世界大会に参加する機会もあり、この模擬国連サークルを通して、多様な国際政治に触れることができました

 

日本酒を通じて、地域コミュニティをデザインする

本間千尋さん朝日酒造時代

ー自然言語処理の研究から、どのように酒蔵就職につながったのですか

本間 千尋さん:自然言語処理を研究しながらも、報道関係の仕事へ就職したいという思いは変わりませんでした。しかし、大学3年頃になって現場で働く方のお話を聞いているうちに「マスコミにいるからといって直接何かを変えられるわけではない」と気が付いたんです。私はそれよりも直接人に触れ合って、ミクロだけど現実的に人の気持ちに寄り添っていけるものに関わりたいと思いました。

酒蔵に就職した理由は2つあって、1つは学生時代にアルバイトをしていた日本料理屋さんで日本酒が好きになったからです。

もう1つは、模擬国連サークルのイベントでCSR(corporate social responsibility:企業の社会的責任)の部署で働いている社会人の方と出会い感銘を受けたからです。世の中には商品を売るだけでなく、企業の価値を高めることを主軸に考えている役割があることを知りました。会社が持っている資源を活かして環境問題や地域の課題などに企業全体で取り組んでる姿を知って、「なんて気持ちがいい仕事なんだろう」と思ったんです。

そして、その2つが合わさったような部署が地元の朝日酒造にあると聞いて、就職試験を受けることになりました。

 

ー朝日酒造にそのような部署があることは、どうやって知ったのですか。

本間 千尋さん:私の母がたまたま朝日酒造の合唱部に入っていたからですね(笑)他にも茶道部や野球部などがあって、様々な形で地域の人と関わっているところにも惹かれました。

あとは有志の社員がホタルの保護活動をしてたり。お酒を作るにはきれいな水が大切なので、ホタルを保護することで水を守ることに繋がります。
朝日酒造は地域に密接した活動をされていて、誰もがその活動に関われる仕組みだったので私の理想にぴったりでした

 

ー朝日酒造さんで働き始めてから、ギャップなどはなかったですか?

本間 千尋さん:ギャップは特になかったですね。

酒蔵見学の他にも広報誌を書いたり、文化事業部主催で「お酒を飲みながら参加できる音楽会」の運営にも携わりました。酒蔵は昔ながらの組織体制をイメージされる方も多いと思いますが、朝日酒蔵は社員の夢を大事にしてくれていて、やりたいことを応援してくれる風潮があったので、常に楽しかったです。

また、長岡市が主催する様々な業種のメンバーが集まった「ながおか若者会議」に参加したこともとても印象に残っています。私は、『食チーム』に入ったのですが、ワークショップを重ねて豪雪地帯ならではの暮らしと食をブランド化する活動に携わりました。

その一環で、長岡市内のいくつかのレストランシェフに雪国が誇る食材を使った料理を作ってもらい、地元のお酒とのペアリングを楽しむ一夜限りのスペシャルディナー「スノーフルコース」を開催しました。多方面のプロたちが集まってひとつのイベントを作り上げる過程は最高に面白かったです。

 

ーそこまでハマっていた朝日酒造を退職して、上京を決意されたのにはどんな経緯があったのですか。

本間 千尋さん:私としては朝日酒造を辞めたくはなかったのですが、遠距離結婚をしていて子どもを授かったタイミングで退職の決断をしました。当時は夫が東京で起業して期も浅く、応援したかったですし、何より夫婦で子育てをすることが大事だと思ったんです

出産後は上京し、株式会社ガイアックスで家庭料理レストランを始めた知人に誘われ、そこで働くことになりました。そのお店は「やさしさが連鎖する経済圏をつくる」を理念にお店づくりをしていました。たとえば、お母さんが子どもに出すように手作りで無添加の食事を提供したり、農家さんが丹精込めて作ったものを食べきるためにフードロスを出さないようにメニューを工夫したり…単に飲食サービスをするのではなくこういったことを考えながら働けることに魅力を感じていました。