アウェイをホームにして次にいく!エスイノベーション株式会社 井上さんのキャリア観とは

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エスイノベーション株式会社は、地域にイノベーションを推進するコンテンツやノウハウを共有し、提供する「地域イノベーション・プラットフォーム」事業や、地域企業のイノベーション、個別課題に対するソリューション開発を推進し、その知見をノウハウ化する「イノベーション・ラボ」事業を行っている会社です。

今回取材した井上佳純さんはエスイノベーションのメンバーとして、県の委託事業のオープンイノベーションプログラム「イノラボ新潟」の運営を任されています。

エスイノベーションのポリシーにもある「『今』に真剣に取り組む」姿勢。井上さんもエスイノベーションに所属する以前から、「今」と真剣に向き合い、挑戦されてきました。
取材では、井上さんの”変化と結果”にフォーカスすることで、自身の可能性を常に開拓してきた井上さんのキャリア観や大切にされていることを聞いてきました。

井上 佳純さん Inoue Kasumi

1992年生まれ、新潟市秋葉区出身。新潟県立新潟南高校を卒業後、横浜市立大学に進学。小売業、学童保育指導員、日本語教師、地域おこし協力隊、NPO職員を経て、地元新潟のスタートアップ「エスイノベーション株式会社」へ転職。県内大手企業とスタートアップの事業共創の推進に取り組む。趣味は旅行、最後の晩餐は炊き立てのコシヒカリ!

”人”と何かを作り上げる面白さ

ーー転職や移住など多くの”変化”を経験されてきた井上さん。まずはキャリアの原点から伺いたいのですが、大学ではコミュニケーション論を学ばれていたようですね。

井上佳純さん:そうなんです。元々人と何かをすることに興味があり、”人間っておもしろい”と思っていて、コミュニケーション論が学べる横浜の大学に進学しました。

ーーなぜ、人間っておもしろいと思っていたのですか?

井上佳純さん:例えば、学生時代に所属していたバスケットボール部でいうと、同じメンバーで試合をしても試合ごとに内容も結果も異なります。
長年続けていた習い事でも同じようなことを感じていました。
さらに、アメリカにホームステイした経験からは、言語が違っても人と人が通じ合えることはある、逆に言語が同じでも分からないことだってある、そういったことがすごく不思議だなと思っていたんです。

ーーなるほど。そういった視点からコミュニケーション論を専攻したのですね。その後の就活でも、コミュニケーションに関することを軸に活動されたのでしょうか?

井上佳純さん:実は私、就活アンチ派でした(笑)
どうしてみんな同じような格好をして、決まったセリフを言うような”就活”をしなくてはいけないの?と思っていたんです。そのため、大学院や海外へ行く選択肢も検討し、身内もそれを勧めてくれていました。

しかし、自分が理解できないからってそれをやらずに批判するのはおかしいと思えてきて。とりあえずやってみて、やはりおかしいと思ったら違う道に行こうと考えました。

ですが実際にやってみると、いろんな企業があることを知れますし、なかなか入れないところに入って色々な話も聞けて、”就活”っておもしろいなと感じるようになったんです。
面接で落とされるのは嫌ですけど、なぜ落とされたのかを分析するのもおもしろかったですね(笑)

ーーコミュニケーション論を学んでいたからこその視点だったのでしょうか?

井上佳純さん:もともと自分を俯瞰するような癖があるのだと思います。
面接の場では、もちろん緊張もしているのですが、一方で場の空気をとらえて分析している自分もいて。そうやってある意味楽しんでいたのだと思います。

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今しかできないことをやりたい

ーー新卒は地元企業に就職されていますよね。初年度で優れた成績を残した人が選ばれる大役に抜擢されるなど、輝かしい活躍をしていたようですが、どうして転職をされたのでしょうか。

井上佳純さん:新卒での仕事は、新潟から全国展開している小売業の企業でした。自分で言うのもなんですが、きっと自分には合っていたのだと思います。品出しや発注、売り場作りも好きでしたし、人間関係もとても良好でした。
でも、できることが増えていくうちにゴールや次なる何かを描こうとしだしたのだと思います。

今思うと、学生時代は卒業や社会に出ることに向かって階段をひとつずつ上っていた感覚がありました。でも、社会人になると階段のようなレールもないですし、ゴールだって人それぞれです。
そういった中で、自分はずっと今の過ごし方でいいのだろうかと、学生と社会人とのギャップに気づいて怖くなった感覚ですね。その時に、初めて社会人としての自分の将来をきちんと考えたのだと思います。正直、就活の時はそこまで考えられていなかったですからね。

ーーそれで次なる横浜の学童へ転職をしたのですね。でも、なぜそこだったのでしょう?

井上佳純さん:次を考えた時に軸となっていたのは、「今しかできないことをやろう」という考えでした。
そして、そもそも自分は何がしたかったのだろうと思い返した時に、学んできたことや興味があったことにつながる”教育”に携わることがしたいと思ったんです。

ここでいう”教育”とは、子どもたちがいろんな人と関わり、いろんな体験ができる場を提供することです。
就活をしていた時は、これがビジネスになるイメージを持てませんでした。

しかし転職活動を通して、もう一度そんな教育の場を探してみると、首都圏の民間の児童保育施設や民間企業が提供している教育が、それに近いものだと気づいたんです。
元々「コミュニケーションの場づくりの専門家になりたい」と、学生時代からワークショップデザインの勉強もしていたので、それが実践できそうな横浜の学童で働くことにしました。

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ーーそこでの仕事は井上さんにとって、どのようなものでしたか?

井上佳純さん:民間学童は学校とは違い、任意の習い事に参加してもらったり、チームごとに出し物をつくって園内発表会をしたりします。もちろん多学年で交流することもできます。

現代は、兄弟姉妹の少ない子も多いですし、地域で遊ぶ機会も減っています。学校でも学年や括りを超えた交流は限られています。
でも、学童は上級生が下級生の面倒をみながら過ごします。
そこが私の関わりたい教育でした。

私は特に、小学1~3年生と接することが多かったのですが、幼児から児童になっていく過程の成長をダイレクトに感じられる現場でしたね。
子どもは、1人だとできないこともお兄さん・お姉さんと一緒にやればできるようになり、自分もその力で誰かを助けられた時には、褒められたり感謝されて嬉しい気持ちになります。
そのような、子どもたちが成長する仕掛けを考えるのがおもしろかったです。

中でも、月1回のイベントで、私が今まで勉強してきたワークショップデザイン理論を活用した企画を実施して、満足していただけるものが提供できた時は、本当にやりたかったことと繋がったような感覚でした。

ーー職場と井上さん自身がとてもよくマッチングしているように思います。ですが、なぜそこから一転し、ベトナムへ行くことになったのでしょうか?(笑)

井上佳純さん:学童ではワークショップデザインも深められましたし、人との繋がりも得ることができてとても楽しかったです。
だからこそ、そろそろ次のステップに進みたいなと思い(笑)
転職活動をして、都内の企業から内定をもらいました。しかし、内定をもらった瞬間に「これは違う」と思い、立ち止まって考えたんです。
そんな時、元々どこかのタイミングで海外に行きたいと思っていたこともあり、「今だ!」と勢いで調べて準備して、海外に行く選択をしました。

居場所もゴールも、自分次第

ーー「今しかできない事をやろう」と思うようになってから、一貫した潔さがあるように思います。どんどん新しいフィールドに挑戦できるエネルギーの元には何があるのでしょうか?

井上佳純さん:まさに、今しかできないことに重点を置き始めた1度目の転職活動から、テンポよく行動できるようになった気がします。

学生の頃は逆だったんですけどね。ただ安定的な高校や大学に進学するというレールの上を、あまり深いことは考えずに走っていた気がします。習い事も15年間、部活も中高6年間やり切りましたし、慎重派だったのではないかと。

でも社会人になって、突然走るレールがなくなった時に、居場所も方向もゴールも「自分次第」だと気付きました。

新しいことをやる時には、怖さを感じるのも事実です。
でも、どんな環境であっても、もしダメだったら帰って来ようと思える場所があるんですよね。新潟という場所であったり、家族や友人であったり。
ダメだったら引き返してまたやり直せばいいし、その時にきっと応援してくれる人たちが周りにいるから大丈夫だろうなと思えることが心の根底にあるのだと思います。

アウェイに飛び込んで、ダメだったらホームに戻ればいい。
アウェイがホームになったら、次なるアウェイにまた飛び込む。そんな感覚ですね。

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大切な人たちに、感謝する生き方

ーーベトナムを選んだ理由は、「これまでに行ったことがない国、英語や日本語があまり通じない国、きっと自分が困るだろうなと思う国だったから」という井上さんですが、ここでの経験はやはり困ることがたくさんあったのでしょうか?

井上佳純さん:ベトナムで過ごした1年間では、大変なこと、いいこと、悪いこと、いろいろ経験できました。

ベトナムは、家族や友人を何よりも大切にする文化です。
仕事が終わったら、すぐカフェに行ってお友達とおしゃべりして、帰って家族と一緒にご飯を食べるのが常識です。
そんな中で、私自身も家族や友人を大切に思ってはいたけど、ちゃんと行動に示していなかったことに気がつきました。
もっと家族や友人、大切な人たちと時間を過ごして、感謝を伝えていきたいと思うようになりました。

そして仕事の任期が一区切りする際に、地元新潟に戻ろうと思ったんです。
おまけに、ベトナム生活を経て、私にとってはきれいな空気、水、お米はとても重要だったのだと気づきました。それが全て揃っている環境が故郷の新潟にあったんです(笑)

ーー海外から新潟に戻る際の転職活動には、どんな考えがあったのでしょうか?

井上佳純さん:これまでの経験から、大きな組織に入って働くのではなく、ある程度裁量権を持って挑戦させていただける環境の方が私には合っているのではないかと思っていました。
地域おこし協力隊になる前は、3年間という任期があることも私には魅力でしたね。
でも結果的には、ちょうどコロナが流行してあまり活動ができなくなってしまったこともあり、任期中やり残したことがたくさんあったので、任期後も運営を管轄するNPOに残ってそのまま働いたんですけどね。あと、赴任地の下田地域が大好きだったことも理由です。

ーー地域おこし協力隊や任期後に移行したNPO団体では、井上さんはどのような事をされていたのでしょうか?

井上佳純さん:最初の1年は、希望していたこととは違うのですが、地域のプロバスケットボールチームの立ち上げをしていました。

入ったタイミングがちょうどバスケットボールチームを立ち上げようとしていた時で、バスケットボール部だったことから任されることになったんです。もちろん、プレイヤーと組織を立ち上げるのは全く別物なので、かなり戸惑いました(笑)
立ち上げのための準備期間は3ヶ月間。チーム名を決めるところから、選手のリクルート、広報、スポンサー集め、営業、どんなこともやりました。今までやってきたことと全く違う仕事で、たくさん調べつつ資料をつくりつつ…インプットとアウトプットを同時にする状況で大変だった記憶があります。

でも、バスケットボールは好きだったので、下田地域や新潟が好きなスポーツで盛り上がったら嬉しいですし、なかなかプロバスケットボールチームを立ち上げた経験を持つ人はいないですから、面白がりながら取り組めました。教育の仕事はその後です。

3回転職していることもあり、最初をきちんとやれば、その後は絶大な裁量権がもらえることを知っていたので、最初の仕事はパーフェクトにやろう、やれたら私のやりたい事をさせてほしいという主張ができる、と思いながら奮闘していましたね。

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ーー2年目からは、横浜学童時代以来の教育分野での活動ができたんですね。

井上佳純さん:そうです。やっていたことは学童と近いものがあったのですが、違ったのは土台が”まち”になったことです。それも都心ではなく地方、中山間地域の過疎地です。

内容としては基本的に、私が横浜や海外で勉強してきたプログラムを実践しました。
具体的には、ドラマ教育(演劇的手法を使ったエクササイズや、即興の劇遊びを通して、コミュニケーション力・表現力・社会性などを養う教育)や、リーダーシップのワークショップ、外国人留学生との国際交流、アート系のプログラムなどです。

やはり新潟は横浜とは違って、自然というフィールドがあるのが強みです。
それを活かしつつ、新しいことや普段触れられないような分野へ、子どもたちに触れてもらおうとしました。

ただ、できなかったこともあります。
それは都市部の子どもたちを下田地域に連れてくることです。
自然は東京には持っていけないですが、都市部の子どもたちを下田地域に招いて交流を図ることは双方にとってとても意味のあることだと考えます。でもコロナの影響で、当時はできなかったんです。

ーーまだやりたいことがあった状態で現在のエスイノベーション株式会社に来たわけですね。エスイノベーションにきたのは、どんなタイミングでどんな理由だったのでしょうか?

井上佳純さん:自分が今までやってきたことを、ある程度後輩たちに引き継ぐことができたときに、自分の次のステップについて考えました。

そして、私が学童や下田地域で経験して得てきたことを、これからもっと進展させていきたいと考えた時、持続可能性のあるビジネスの形態にして、本気で取り組んでみたいと思ったんです。
しかし今の私には、まだ事業を起こせるほどの力がないので「これは修行に出るべきだ」と考えました。力があったら、下田地域に残りたい気持ちもあったのですが。

さらに、関わってきた子どもたちも学年が上がって、中学生が高校生になり、この子たちが将来学校を卒業して社会に出るとき、新潟で生きる・暮らすうえで、おもしろいと思える場や働く場、輝く場があるのかなと考えたんです。それはどこだろう、無いなら作らなきゃ、と。

そういった場所が増えていったら嬉しいですし、その一端に私もどうであれ貢献できたら幸せです。そんな考えから、新潟のスタートアップに関連したところや自身の事業創造力にも焦点を当てて転職先を探したところ、エスイノベーションに辿り着いたんです。

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ーー子どもたちが、将来的に新潟で面白いことや人生を描いていける、そんな環境を作っていきたい使命と、これからも教育に貢献していきたい使命が両立しているのですね。

井上佳純さん:そうですね。今まで以上に未来がよめない時代になっていく中で、自分で何かをつくっていくことはすごく大事です。
それを私自身も実践していきたいですし、子どもたちには幼いうちから練習と失敗ができる場を作っていきたいですね。

しかし、環境を整えていきたいと思っている一方で、新潟を出ていくこと自体は肯定的に考えています。
いろんなものを見て経験して、出会って、その上で「新潟も楽しそう!」と思うタイミングがあったらいいですし、その時に「やっぱり新潟つまらないな」と思わせてしまうことはしたく無いんです。

ーー修行先として辿り着いたエスイノベーションですが、改めてこの環境や役目などをどのように捉えていますか?

井上佳純さん:エスイノベーションは現在社員4名、インターン等を含めると10名ちょっとの会社です。
この環境だからこそ、自分のアイデアを試したり、とことん話し合ったりできるのだと日々感じますね。

何も決まっていないところに、種を蒔いて耕していくことは私にとって苦ではなく、むしろ合っていると思っているので楽しいですね。
同時に、事業自体の成長だけではなく、会社としても成長していくことの重要性などを考えるようになりました。
今いるメンバー、これから一緒に働くメンバーとどうやって一緒に成長していけるか、自分はどういう役割で貢献できるか、ということを体現していける環境です。

入社してからの約1年間、70〜80社の方々と関わらせていただいていることも、これまでにはできなかったことです。
県内企業の経営者さんたちや働く方々が、自分達のことだけではなく、どれほど地域のことを考えて”貢献していきたい” “子どもたちに魅力的な地域の未来を残していきたい”と思っているか、それを実際に見聞きできていることもすごく嬉しいことですね。

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次もいける、いってみよう!

ーー「アウェイをホームにできる自分」や「ダメだったらホームに戻れる自分」を知っている(信じている)。それが井上さんのキャリア観に現れる豊かさだと思うのですが、その自己認知の感覚はどこに由来しているのでしょうか。

井上佳純さん:そう言っていただけると嬉しいですが、どこからくるのでしょうね(笑)
でも、やはりこれまでに新しい環境に飛び込んだ経験や、新しいことをやったときに得られた達成感や自分が得てきたことが積み重なっていると思っています。

失敗することがあったとしても、得るものの方が大きいから「次も行ける、行こう」と思えるんですよね。
いろんなことを経験させてもらいましたから、それには本当に感謝しかありません。
だからこそ、そういう場を提供したいという気持ちが強いんです。

 

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(取材・編集校正:ayaka 執筆:ひな)