岩室【灯りの食邸KOKAJIYA】で繋ぐ。熊倉誠之助オーナーシェフと若手シェフそれぞれに点る食の灯り

言わずと知れた食の宝庫、新潟。
その魅力を最大限に引き出すレストランが岩室温泉にあります。
それが古民家レストラン、灯りの食邸 KOKAJIYA。

今回お話を伺ったのは、オーナーシェフの熊倉誠之助さんと、2021年秋に入社したシェフの田中梨桜さんです。

入り口は違えど、灯りの食邸 KOKAJIYAという場所で料理と向き合っていることは同じ。
師弟である2人の辿っている道から、「やりたい、好きに正直になること」が人生に与える影響の豊かさを感じることができます。

1つのカフェバーに魅せられ、飛び込んだ飲食業界

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ー熊倉さんは新潟県内の高校を卒業した後、琉球大学に進学されたのですよね。

熊倉誠之助さん:そうなんです。海洋学者になりたくて、琉球大学の海洋学部に入りました。
海洋学者になりたかったのは、昔テレビで放送されていた『七つの海のティコ』というアニメを見たことがきっかけです。主人公ナナミの父が海洋学者で、船に乗って家族と世界中を旅しているのですが、そのお父さんの姿に憧れたんです。
インディジョーンズなどのアドベンチャー映画や、ナショナルジオグラフィックなどのネイチャー雑誌などが小さい頃からすごく好きで、大自然と向き合う職に就きたいという思いがあったんです。

 

ー実際は、研究者の道ではなく自らのお店(cafe&bar)の開業をなさっておられますが、これにはどんな変化があったのでしょうか。

熊倉誠之助さん:大学3年生の頃、一度は周囲と同じように就職活動をしましたが、面白くなかったので、最終面接までに全ての会社を辞退して途中で就活をやめました。
バックパッカーが流行っていた時代だったりもして、世の中につまらなさを感じる世代というか、安定とは真逆に生きたい世代だったのでしょうかね。自由を求めて、ロマンを追うことがかっこいいと思っていた部分もあります。
しかし、そうなると「大学院か、、?まあ元々学者になりたかったし、それでいいかな」という発想に。そんな大学4年生の夏頃、 たまたま訪れた海辺のcafe&barにすっかり魅了され、そのまま飲食業界へ進んでいくことになりました。

そのお店はペンションもやっており、ロケーションと、そこで働く人たちが素敵で、僕にとって最高な場所でした。
スタッフ募集もしていなかったそのお店に、はじめは「無給でいいので働かせてください!」といってお手伝いをさせていただきました。働いてみるとやっぱり楽しくて、ちゃんとここで働いていきたいとお願いをしたのですが、「学生だから」と断られたんです。なので、僕も覚悟を見せたくて「大学辞めます。もしくは、せめて休学します!」と宣言をして、僕はもうここにしか行かないぞ!という姿勢を示しました。そうしてなんとか認めてもらい、大学を休学、お店にはペンションも付いていたので、ちょうど良く家も引き払って、転がり込むことに(笑)

 

ーかなり思い切った決断ですね。どうしてそこまで思い切れたのでしょうか?

熊倉誠之助さん:本当にやりたかったからじゃないですかね。自分にとって、全部がハマってた感じでした。スタッフもロケーションも。バーカウンターからは、外に出たらすぐ飛び込めるような、沖縄の海が一面に広がっていて。
自分がワクワクするようなモノ・コトってあると思うのですが、僕にとってそのお店は、自分の中のセンサーが反応するような”ピッタリとハマるもの”でした。
小学校の頃に祖父がくれた帆船の図鑑や、学者が使うような分厚い世界の地図資料集、定期購読していたナショナルジオグラフィックの雑誌など、僕は今でも全て持っているんです。
揺れる水面とか、流れる小川とか、そういうものはずっと見ていたいほど好きなんですよね。

 

ー”自分がワクワクするもの”は、ここ【灯りの食邸KOKAJIYA】で今の熊倉さんにもそのまま繋がっているような気がしますね。それにしても、大学を休学をされて、不安などはなかったのでしょうか?その後はどうしたのですか?

熊倉誠之助さん:休学した時には、さすがに家族内ですったもんだがあったので、1年間働いてから大学に復学して、ちゃんと卒業はしました。復学してから卒業までの期間は、大学に通いながら那覇店で働き、卒業後すぐに物件を探して、その年の秋に自分のお店をオープンさせました。
不安はなかったと言えば嘘になるのですが、そもそも無給の手伝いを懇願した時から覚悟を決めていたので、もう勢いの方が勝っていました。親や友人、大学の先輩や教授まで、色々な人から猛反対されましたけどね。

 

ーそれを突っぱねてまで開業したんですね。しかしその数年後、ご家庭の事情から新潟へUターンすることになったのだとか。

熊倉誠之助さん:そうですね。ずっと沖縄に居たくて、戻って来るつもりは全くなかったため、家庭のことが落ち着いたら沖縄に戻るつもりで新潟に帰ってきました。実はこの【灯りの食邸KOKAJIYA】をオープンしてからも、隙あらば沖縄に戻ろうとしていたくらいです(笑)
新潟でやっていこうと腹を決めたのは、この5、6年で、結構最近の話。
当時は、まだ沖縄にもお店があって新潟と行き来していたので、新潟の方はケータリングサービスで事業展開していました。しかし、それが口コミで広がっていき、忙しい時には月に15、6件ほどの予約が入るほど多くのお客様からご贔屓にしていただけるまでに。
そんな中、縁あってここ”小鍛冶屋”でレストランをやらせていただけることになったんです。

 

刺激を受け、さらなる進歩を

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ーケータリングをやりつつ、沖縄への想いを抱き続けていた熊倉さんが、なぜ”小鍛冶屋”でレストランをやろうと決断することができたのでしょうか。

熊倉誠之助さん:元々、自然の中に身を置いて生活していきたいという思いがあったこともあり、この場所は私にとってある意味で理想の地だったんです。ここでなかったら、レストランをやってはいないと思います。

 

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「小鍛冶屋」さんにまつわるお話はぜひこちらをチェックしてみてください!
【灯りの食邸KOKAJIYA】の世界観、店名の由来、お料理を見ることができます。

 

ー「折りをみて沖縄に戻ろう」から「新潟でやっていこう」と、心境が変化したのにはどんな理由があったのでしょうか。

熊倉誠之助さん:2020年に新潟へミシュランが来たのが一番大きいですね。それまでは正直、自然に囲まれた空間の演出や経営など、料理ではない軸にモチベーションがあったんです。料理においては独学ということもあり、頂点を突き詰めるよりも「お客さんが喜んでくれれば十分」という想いでいました。
【灯りの食邸KOKAJIYA】はミシュランに掲載こそはしてもらえたものの、星を獲得することはできず。お世話になっている先輩は、星を獲得して、なお上を目指そうと邁進していました。その様子などをみて、なんだか料理に真正面から向き合っていなかった自分が恥ずかしくて、悔しかったんです。

 

ー自分自身に対する悔しさから、意識の変革が起こったのですね。

熊倉誠之助さん:それからは、とにかく料理の全てを吸収しようと、先輩のお店に行って学ばせていただいたり、コラボレーションしたり、周囲の料理人おすすめのお店を訪れたりしました。それがこの3・4年の話ですね。
いろんなことを吸収させていただいて、料理と向き合おうとしていたのですが、実は自分の中では迷いの期間でもあったんです。
独学で基礎を知らない分、いいものに触れるほど迷いにも繋がって、「妥協したくない」という想いも出てきて、ブレやすかった気がしています。

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ー「ミシュラン新潟2020」「新潟ガストロノミーアワード100」「ゴ・エ・ミヨ2023」に選ばれたこの数年、熊倉さんご自身は「迷い」の中にいたのですね。

熊倉誠之助さん:有難いことにご評価をいただいて、一応成長はしているのかなと思っていますが、正直自分が何をやりたいのか分からない中で日々料理と向き合っていました。調査員の方々はいついらっしゃっているのか分からないことが多いので、掲載された際に良い評価を書かれていたりすると救われる想いです。
また、その影響もあって、最近は美食家の方が訪れてくださることもあり、かけていただいた言葉の中からヒントをいただくこともありました。

「もっとシンプルでいいんじゃない?」
不安しかない中、この一言にはハッとしましたね。料理を研究するうちに、芸術家の作品作りのように入り込み、自分の培ったスキルをどこに落とし込めば良いのか分からない状況に陥っていた自分に気がついたんです。
ケータリングサービスをしていた頃は、お客様が喜んだり驚いたりしてくれることが全てだったのに。
だからこれからは、料理に向き合うだけでなく、お客様に向き合う時間を増やして、お客様の満足度を上げられることに尽くしていきたいと思っています。それが今の課題ですね。

 

ー本物に触れていらっしゃる美食家の方々からの、意外にもシンプルでストレートなお言葉が熊倉さんの気づきに繋がったのですね!

熊倉誠之助さん:そうですね。先日、和食調理の巨匠が訪れてくださった際に、「美味しかった。勉強になりました」と声をかけてくださったんです。
これには痺れましたね。
その方は現在92歳で、日本が誇る偉大な料理人なのに、私のようなものに対して”勉強になった”と。
60歳くらいで引退をイメージしていた自分が恥ずかしくなりましたね。
その巨匠の本にサインしてもらったのですが「料理は思いやり」と書かれていたんです。それが先ほどの「もっとシンプルでいい」と声をかけてくださった方のアドバイスともリンクしていて、なんだか自分の中で沸き立つものを感じるような感覚になっています。今年は改めて喝が入った年ですね。

 

織りなす料理は、努力と実践の結晶

ー熊倉さんが作る料理は、どこからインスピレーションを得ているのでしょうか?

熊倉誠之助さん:インスピレーションは、幼い頃から好きだった「自然」からきているのだと思います。
でも基本的な知識に関しては、全て実践の積み重ねですね。
僕には、料理の基礎を教えてくれた「先生」と言える存在が、本しかないんです。
最初はケータリングから始まったので、キッチンなどの設備も整っておらず、とにかく本を読んで頭の中で何度も作って、最初で最後の本番に臨んでいました。
あとは、沖縄のcafe&bar時代にお客様として来店してくれていたレストランシェフに質問したりもしていたな。

 

ー田中さんから見たとき、熊倉誠之助さんはどんなオーナーシェフですか??

田中梨桜さん:全てにおいて天才ですね。食材の魅せ方や発想が天才的です。
でも、1日中ずっと本を読んでいたり何かを試している方なので、才能だけじゃなく努力の人だと思っています。ずっと何かを求めている人なんです(笑)

 

一歩一歩、料理人の道へ

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ーここからは田中さんにお伺いします。田中さんは、新卒で飲料メーカーに勤められて、約2年前に料理の世界へ飛び込んだそうですが、そのきっかけなどについて教えてください。

田中梨桜さん:はい!まず、私は高校卒業後に県内の短大の総合学科に進学しました。
小さい頃から料理をすることが大好きで、食に関する仕事に就きたいと思っていたのですが、調理師の専門学校に進学してしまうと料理以外の選択肢が限られてしまうのではないかと思い、料理人の道に突き進むことができませんでした。
そのため、大学では市場のことなどについて広く学び、卒業後は飲料メーカーに就職をしたんです。

しかし、日々仕事をやる中で「本当にやりたいことって、これなのかな?」と思うようになり、職場の人たちは好きだったのですが、ずっとモヤモヤしながら働いていました。
そんな時に、知人と【灯りの食邸KOKAJIYA】を訪れてその料理に魅了されました。すぐにInstagramをフォローすると、たまたまキッチンスタッフの募集をしており、思い切って応募してみたのですが「今回は即戦力募集で、、」ということで断られてしまったんです(笑)
その後、熊倉さんが姉妹店である【岩室とり蔦】をオープンされたので、訪れてみると「面接に来てくれた子だよね?」と気づいてくださって。社長の奥さんとお話をさせていただいているうちに「そんなに興味があるのだったら、土日などのお皿洗いでもいいので、手伝ってくれない?」と言っていただき、2つ返事で「是非やらせてください!」と返事をさせていただきました。それが、今に至るきっかけですね!

 

ー面接で一度は落とされたところから、熱意が伝わってのスタートだったのですね!ということは、最初は副業として仲間入りしたのですか?

田中梨桜さん:そうなんです。平日は会社で働いて、土日は【灯りの食邸KOKAJIYA】でお手伝いをしていました。それが本当に楽しくて、「やっぱり自分がやりたいことはこれだ!」と確信していき、会社を辞めて料理人の道に進み出すことができました

でも、これまでずっと”好きなことだけど、仕事にはできないのかな”と、料理の脇の道を選んでいた私にとって、”やりたい道に進む”選択をするのは簡単ではありませんでした。お手伝いの期間(今もですが)、とにかくここのスタッフがいろんな相談に乗ってくれて、たくさんお話をする中で「若いうちにやりたいことをやっておかなくちゃ」と思えるようになったんです。
会社員時代にはお馴染みだった「明日仕事嫌だな」という感情も、今は本当になくて。
いつもいろんなことに追われているにも関わらず、「明日は何を学べるかな?」と毎日が楽しく感じるんです

 

ー”やりたいことをやれている今は、将来を不安に思う暇もない”と言った感じでしょうか?

田中梨桜さん:そうですね。見えない将来に対する不安は、誰しもがあるのだと思いますが、大好きな料理に関してまだまだ知らないことが多すぎるので、とにかく勉強!ですね。
今は経験を積み重ねる時だと思っています。

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この場所で学ぶ、ということ

ー毎日どうやって料理の勉強しているのですか?1番楽しい時間はどんなときでしょうか?

田中梨桜さん:今はシェフの横でアシスタントをさせてもらっています。分からないことは教えてもらいながら、パスタをこねたり、仕込みなどもやっていますね。
1番楽しいのは、森に行く時間です(笑)
4〜5月は山菜を取りにスタッフで森に行ったりもして。今まで雑草だと思っていた草が、実は食べられると知ることができて、とても面白いですよ!森の中の草をとって、食べたり匂いをかいでみたり。「こんなこと普通の会社員ではできないよな」と思うことを日々経験しています。

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ー将来の目標はありますか?

田中梨桜さん:いつかはお店をやりたいと思っているのですが、まだ全然分かりません。
料理は楽しいですが、経営のことなど全く分からないですし、当然大変だろうと思いますし。
今はまだ、ノスケさん(熊倉シェフ)からの課題でもある、毎月のアミューズを考えることに必死になっています(笑)
※アミューズ:料理用語で、「お楽しみ」の小皿料理のこと。

熊倉誠之助さん:昨年、田中は初心者ながらに新潟県の若手料理人コンテストのファイナリストに選ばれたんです。でもグランプリは獲れなかったので、今年は期待しています。県内で優勝した次は、日本全国の料理人が参加する「レッド35」に出場するのが目標ですね!

田中梨桜さん:本当にありがたいことにファイナリストに選んでいただくことができたのですが、昨年のコンテスト締切前はもう課題の「エビ」に取り憑かれていましたね。
頭を捻ってアイディアを考えて、ノスケさんから意見をもらって、それを繰り返すうちに気がついたら無意識に「エビ、エビ、、」って呟いていたそうです(笑)

 

ー日々、料理の楽しさに触れながら、食材一つ一つに向き合っているのですね!

田中梨桜さん:そうなんです。でも、この場所で働いているからこその食材とのつながり、コミュニティがあるからいいなと思います。岩室にはジブリの世界のような自然があって、ご近所のおばあちゃん、ネコ、このお店だけで完結しているわけではないストーリーがここにはあるんだと感じながら学んでいます。そんな場所から、料理人のスタートを切れたことは本当に幸せですね。

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***

 

熊倉誠之助さん
くまくら せいのすけ|経営者


1979年生まれ、新潟市出身。海洋学者を志し、沖縄県の琉球大学に学ぶが、在学中に料理の道に目覚める。卒業後は那覇市にてカフェバー【cafe & bar RitMo】の開業を経験した後、帰郷して2013年に【灯りの食邸 KOKAJIYA】を開く。続いて、2016年に【三条スパイス研究所】、2021年に焼鳥店【岩室 とり蔦】もオープン。さらに2022年7月には【一棟貸切りの宿 岩室久元】も開業。

田中梨桜さん
たなか りお|料理人


2000年生まれ、新潟市出身。高校卒業後、県内の短期大学へ進学してフードに関する流通学やマーケティング関係を学ぶ。調理する職に興味を抱きつつも、飲料メーカーへ入社。「このままでいいのか」と悩んでいた中で【灯りの食邸KOKAJIYA】のオーナーシェフ熊倉と出会い、改めて料理に魅せられて食の世界へ飛び込む。現在はアシスタントシェフとして働きつつ、「新潟市若手料理人コンテスト2022」に出展し、ファイナリストに選ばれるなどの活躍もみられる。

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