以前、新潟亀田わたご酒店の店主、寺田和広さんを取材させて頂きその想いに強い共感を抱きました。
今回は第1弾から少し間が空いてしまいましたが、わたご酒店第2弾ということで、寺田和広さんの奥様寺田菜々子さんに取材をさせて頂きました。
寺田夫婦の知られざる結婚秘話や、わたご酒店を立て直すまでのストーリーから、人生で大切なものに気づくまでの葛藤に触れることができました。自分とは何者なのかを模索する人におすすめのお話です。
無我夢中に駆け抜けて、パンクしてしまった20代
ー菜々子さんの簡単な経歴をお聞かせいただいてもいいですか?
寺田菜々子さん:私は新卒でアパレル会社に入って、一代でその会社を築き上げたカリスマ社長の元で5年ほど働いていました。
体育会系気質の強い会社でしたが、がむしゃらに働いていたら副店長を任せていただけることとなり、それ以降もさらに必死に食らいついていました。
早い段階で上のポジションになれた結果、気がつくと自分の元で働くスタッフさんはみんな私よりも年上の先輩方。次第にいろんな重圧に押し潰されそうになっていったんです。
27歳の頃、そんな環境にとうとう耐えられなくなり、逃げるようにして新潟に帰ってきました。
その後、地元の市役所で非常勤として働き始めることに。超ホワイトな環境で自分の時間がたくさんできたので、今度は「自分の価値ってなんだ?」と思い始めちゃったんですよね。
そこで、もっと色んなことに挑戦すべく、十日町きものコンテストに出てみたりして自分を模索しているときに、旦那と再会して結婚したって感じです。(元々、大学時代のサークルにて面識あり)
ー結婚の経緯もすごく面白いですよね。
寺田菜々子さん:私が新潟であがいてたときに、夫がちょうど新潟に帰ってきて、友人4人で飲む事になったんです。そしたら他の2人が急遽来れないことになって。特に予定もなかったので、結局2人きりで会いました。
そしたら、次の日も「ぜひ会ってください」となり、その次の日また「もう一日会ってください」ってなって。で、結婚しました(笑)
ー(笑)当時、結婚を決断するにあたってどんな考えなどがあったのでしょうか。
寺田菜々子さん:市役所に勤めていたときは毎日17時半には退社していたので、全然出会いがなかったんです。実家には姪っ子が三人いるので、その子達とお風呂に入って、ご飯を食べたら20時にはもう寝れる生活(笑)私は当時30歳でしたけど、死ぬまでずっとこの日々を繰り返すのかと焦っていたんです。
そんなときに再会した夫は、自分のやりたいことがはっきりしていて実行力もあり、価値観にも共感できる相手でした。なんとなく「いいな」と思って話を聞いていたら、夫が「僕は、今から2年付き合って結婚するか、今結婚するかだったら、今結婚したいです」って言ってきたんです。そのとき私は、「こんなチャンスはもう2度とない!」と思って結婚を決意しました(笑)
ー旦那さんと3日間連続で会っていたときはどんなお話をしたんですか?
寺田菜々子さん:基本的には将来の話をしてた記憶があります。一日目はサイゼリヤで(笑)
喋っている内容は未来のワクワクした内容で、途切れることなく3時間くらい話して、向こうがベロベロになったので車で送って帰りました。私は車だったので飲んでいなかったんです。何なんだコイツって思いましたね(笑)
そしたら最後に「明日僕のお店を見に来てくれませんか?」って言われて。
翌日、指定されて向かったお店(わたご酒店)は、店内が暗くて中に入るのも勇気が必要なくらいのお店でした。夫の弟とお母さんとお祖母さんはいたのに、本人がいなくて(笑)
結局家族と1時間位お茶して待ってたんですが、夫本人が来たのは私が帰る間際。めちゃくちゃ謝っていて、何なんだコイツって思いましたね(笑)
そしたら「明日の夜、空いてないですか?」って言われて、三日目にちゃんと食事を一緒にすることに。“この人、もしかして私のこと好きなのか?”と思いましたが、私は当時もう30歳、“今から軽い気持ちで付き合うとか無理だから!”と考えていたんです。
すると、開口一番に出た言葉は「僕と結婚しませんか?」って。
こちらの予想を超えてきたことに拍子抜けしてしまって。
そちらがその気ならこっちだって!というテンションで、私自身も“言ったな?撤回はさせんぞ?”という思考になったんですよね(笑)
ー最高ですね(笑)
“わたご酒店の嫁ナナコ”として第2のキャリアがスタート
ーその後、結婚してからはどんな夫婦生活を歩み始めたのでしょうか。
寺田菜々子さん:お店をスタートしたばかりのときは、いろんなところに営業へ出向いて、収入を得たら店内のDIYをしてって感じでしたね。
営業するにしても、うちは後発店なので、飲食店さんとの付き合いもあまりなくて。
そうなると、まずは店頭でしっかり売らないといけないんです。そこで、まずはお酒好きな家族やカップルが来てくれるお店を目指そうって決めました。
となると、お酒だけを置くのではなく料理も置いた方がいいという発想が浮かびます。
ちょうど東京でケータリングのお料理を出していた同級生が新潟に戻ってきたところで、即口説き落としました(笑)
そしてわたご酒店の片隅にテナントとして入ってもらって、私も手伝い始めました。それがわたごお料理部の始まりですね。
あとは、業界を超えたところにも「新参者ですがよろしくおねがいします」って挨拶に行っていました。
挨拶や営業がしたくてもお金がないって時は、その方々を家に招いて、私が手料理を振る舞ったりしていましたね(笑)
そんなことを2・3年続けていたら、色んな方に顔が売れてきて、仕事を貰えるようになってきたんです。
ーお金が無い中でも、どうやったら相手に喜んでもらえるかを考えてこられたのですね。
寺田菜々子さん:DIY前のお店は古くて、家族で来ても奥さんと子どもは車の中にいて、旦那さんだけでお酒を買ってすぐに帰っちゃう感じでした。だから、奥さんもお子さんも欲しいものを見つけられる場にすべく、お店作りに奔走しました。
そのうちやっとお金が溜まって、お店の内装ごとまとめて綺麗にすることができたんです。
ーある意味、お金で簡単に解決させてこなかったからこそ、目指したい酒屋像を丁寧に追い求めることができたのですね。
寺田菜々子さん:たくさん考え抜いて、いろんなところに価値を見出すことができたのかもしれません。とにかくできることをやって、手探りのなかにヒントを見つけていった感じですね。
例えば、産まれたばかりの子どもをおんぶして店番をしていると、お客さんみんな本当に可愛がっていってくれるんです。その時、子供をおんぶして店番するのって、きっとコンビニだったら許されないけど、酒屋ではむしろお客さんが笑顔になってくれるんだと気付きました。
そんなふうに、まちの酒屋が持っているポテンシャルに気付くことができたんです。
ー菜々子さんは「おばあちゃんの畑」の食材などでも、積極的に新しい挑戦をされていますよね。
寺田菜々子さん:お店の裏にある先祖代々受け継いできた「おばあちゃんの畑」。
亀田の街はどんどん都市化が進行しているため、畑を維持していくのは結構難しいことなんです。土地の価格が上がれば、今のまま維持できるかどうか分かりません。
だから私は、おばあちゃんが大切に守っているこの畑をどう活かしていくか、を第一に考えていますね。
例えば、畑に生えている樹齢100年(もしくは、それ以上?)の梅の木。その木になる梅をジュースにしてイベントで提供すると、皆さんとっても喜んでくれます。なんにもなかった木がちゃんとお金になって、そのお金でこれからも木を守っていけます。
おばあちゃんや家族みんなが畑を大切にしているのが分かるので、どうにかしてあげられないかなと思っていて。だから、私の中で畑と料理とお酒はすごく結びつきが強いものなんです。
孫の代まで繋いでいきたい“日常にある幸せ”
ーたくさんの愛情と想いが詰まって、今の「わたご酒店」の姿があるんですね。
寺田菜々子さん:私自身が(社会に・自分の人生に)刃が立たずにもがいていた経験があるので、今すごく幸せなんです。刃が立たなかったときは“あの人羨ましいな”とか、周りを気にしてばかりいたんですけど、いまはもう全然気にならない。これ以上求めることってあるのかなと思ってます。
刺激が欲しくて東京に行った私ですが、今は“やっぱり幸せって日常の小さな部分なんだな”って思います。
ー子供がのびのび育ってくれたら何も言うことないですもんね。
寺田菜々子さん:そうそう。将来、子どもがこの店を継いでくれたら超ハッピーだけど、別に継いでくれなくても全然いい。でも、子どもたちにお店や親の働く姿を残したいですし、両親は誇らしい仕事をしていると思ってもらえたら嬉しいです。
だから、そう思ってもらえるように頑張ろうって日々思ってます。
ーこんな素敵な菜々子さんを見ていると、東京ではなく新潟にしかない幸せの描き方ってあるんだなと思えます。
寺田菜々子さん:東京は新潟みたいな自然を、お金を払わないと見れないじゃないですか。
新鮮な野菜にもお金がかかるし。いい家に住もうと思ったらもっとお金がかかる。
でも、新潟に来るとそれが全て手に入るし、独身のときなんか週1で温泉とか行けて(笑)
とにかく超幸せ!!この暮らしはいろんな人におすすめしたいですね。
この幸せを、孫の代まで残していけたらなって思います。素晴らしい地球環境もね。
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今回は、新潟亀田わたご酒店の寺田菜々子さんからお話を伺いました。
仕事の悩み、結婚出産にまつわる悩み、子育てと仕事における悩み、女性のライフステージには悩ましい課題が盛りだくさんです。
そんな課題にぶつかりながらも他人本位ではなく、自分本位の幸せを見つけられるかどうかってとても大事だと思います。
まして、これだけ他人と自分を比較しやすい社会ですから。
自分に繋いでもらったもの、自分が残したいもの、日常の小さな幸せに感謝して、幸せを噛み締めながら日常を描いていきたい。そんなことを感じるお話でした。
- 寺田菜々子さん
てらだ ななこ|経営者嫁
1988年新潟県阿賀野市生まれ。新潟亀田わたご酒店店主の嫁であり、2児の母。大学卒業後、アパレル会社にて5年間勤務。その後、新潟へUターンし数年経った頃に夫和広さんと再会、結婚。現在はわたご酒店の経理事務や広報、イベント運営などマルチに活躍している。また、わたご酒店で定期的に発行される広報誌『ワタゴニア』は、全てご本人の手書きで作成され、温もりある内容に隠れファンも多い。
わたご酒店公式HP:https://watago-sake10.jimdofree.com/
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