「出会いって希望。出会いがあれば、そこから何かが生まれる」
そう話してくれたのは、東京で生まれ育ち柏崎市小清水(こしみず)集落にIターンした、矢島衛さん(写真左)。
矢島さんが移住したのは、2007年。大学で専攻していた民俗学の卒論研究の一環で訪れた母の故郷、小清水集落。そこで地元の方々の小清水に対する想いに触れ、涙が溢れたそうです。このまま過疎化が進んだら集落がなくなってしまうかもしれない、そう思った矢島さんは、大学卒業後すぐに小清水集落へ移住。以来約15年間、小清水を100年先まで残すための活動をされています。
今回は、そんな矢島さんの小清水への想いやこれからの挑戦について伺ってきました。
中山間地や過疎地域に縁がある方も、そうでない方も、多くの共感を抱ける内容です。
「小清水を100年先まで残す」とは
ー矢島さんは「小清水で働ける場所をつくる」活動をされていますが、具体的にその内容を教えていただけますか。
矢島衛さん:小清水集落は世帯数27戸という小さな集落ですが、この土地を100年先にも残していくために活動しています。その内容はさまざまで、カフェ、農業、菓子製造、農家民宿、地域おこし協力隊の募集などのNPO活動も。やっていることは色々ですが、小清水という地域にこだわり挑戦することで、いろんな働き方や仕事を増やしていこうと思っているんです。
ーどうしてこのようなワークスタイルに辿り着いたのでしょうか。
矢島衛さん:私はIターン後、居酒屋や博物館、ITベンダーなどで働いておりました。平日はほとんど普通の会社員として人生を歩んでいたのですが、「何のために移住したのか」という想いが強くなっていき、会社員から農家に転身し現在のようなワークスタイルに辿り着きました。特に、会社で妻と出会い、結婚し、妻も私の小清水に対する想いに共感してくれていたことが大きな支えになっていたかもしれません。
また、ITベンダーをしていた柏崎の会社はとてもいいところで、あのまま会社員として働いていたらきっと今頃しっかり育てあげてもらっていたと思うんです。
しかし、それはあくまでも会社員としての矢島衛。仕事って人生の中で多くの時間やエネルギーを使いますよね。私も妻も、小清水を残していきたいという気持ちが強かったので、その矛盾を解消しよう、全てが小清水に繋がる働き方をしようと話し合いながら決断していきました。
小清水でカフェをやると決めた時は、2人で勉強して何度も話し合って、イメージを少しずつ形にしていきました。
ー奥様とは、当時どんな話し合い、どんな勉強をしていたのですか。
矢島衛さん:何をするにも勉強でしたね。例えば、いろんなカフェに行き「ここがいい、これはこうしたい」などと常にそんな話ばかり。しまいにはディズニー映画でも、カフェ構想に繋がったりしてました(笑)
まあ、今も変わらないんですけどね(笑)最近は子供2人の育児に田んぼ仕事などとなかなか慌ただしい毎日ですが、新しいことに出会ってはカフェや自分達の活動につながらないかと話していたり。それが楽しいんです。
ーすごく素敵なご夫婦ですし、楽しそうですね。しかし、会社を辞める当時は自営することに不安はなかったですか。
矢島衛さん:それは特になかったですね。会社員も自営業者も、人生のうちで受ける負荷の総量は変わらないだろうと思っていましたから。きっと同じだけの苦労やストレスがあるんです、感じ方や感じる先が違うだけで。
ただし、自営になってからの変化として、月曜日が憂鬱ではなくなったことが挙げられます(笑)
会社員の頃は、日曜の夜になると「また1週間が始まる〜」と思っていましたが、今は特に何にも感じません。
「あ、今日日曜か。まあ今日も働いてたしな」という感じです(笑)
ーまさに、どちらが良い悪いではなく、ストレスや負荷の「感じ方」の違いですね(笑)
1200年前だって、きっと同じことを感じていた
ー矢島さん小清水集落の氏神様「鯖石神社」の神主もされているのだとか。
矢島衛さん:鯖石(さばいし)神社の神職を務める家が、私の母の実家なんです。現在、神職をしている叔父と従兄弟は他の地域で暮らしているので、小清水に暮らす者として私も神主をさせていただいています。
ー日本神話や古事記への興味はそこからきていたのですか。
矢島衛さん:それは偶然なんです。私が高校卒業間近、たまたま図書館で古事記を見つけ、なんとなく興味本位で読んでみたんです。すると、その面白さにどハマりして、しかも進学する大学で日本文化や民俗学が学べると気付き、喜んでその世界にのめり込んでいきました(笑)
古事記って宇宙が始まって今に至るまでの、全てが載っている物語のようなものなんです。こういった神話は世界的にも珍しくて、例えばギリシャ神話だったら話が連続していないんです。書物によって載っていたり無かったり、抜けている部分があるんです。
それが古事記だと、1つの物語をあの手この手で説明している。結構メチャクチャな神様が多かったり、名前が面白かったりするところも魅力の1つですね(笑)
日本神話を学ぶと、「生成する力」が尊いとされていることがわかります。頬をつたう涙や、自然が作り出す一粒の雫にも神が宿ったりするロマンチックな部分に惹かれるものがあるんです。
ー小清水集落も、命が宿り歴史が繋いだもの。それを残していこうとする矢島さんの想いの原点とも言えるのでしょうか。
矢島衛さん:そうかもしれませんね。私は神話だとか、自分の力では触れられない遠い世界のことが好きなんですよね。だから小清水にも来たのでしょうし。
小清水で生活していると、遠い大昔の世界のこともどこか身近に感じられる瞬間がたくさんあります。
例えば、お祭りの後などにする直会(なおらい)という宴会がありますよね。(神主なので)装束を着て、集落の人たちとほろ酔い気分で直会から帰る道すがら、「ご先祖様も、直会の帰り道、きっと今の自分と同じような楽しい気持ちを抱きながら帰っていたのかもな」なんて思うんです。
小清水には1200年の歴史があって、長野の諏訪大社の下社から新潟県内を旅する中でこの集落にたどり着き、この地を開墾したという伝説が残っているんです。それから長い年月のなかで、世界の文化やテクノロジーはこれだけ変わりました。
しかし、人の感受性ってきっとそんなに変わっていないと思うんですよね。
私は田んぼ仕事をしていると、朝夕の時間が特に心地良いと感じるんです。小清水のこの景色を見て、この空気を吸って、「気持ちいい」「幸せだな」と感じる。これはきっと1200年前の先祖様も同じだったはず。
そう感じることが、たまらなく神秘的で、どこか心温まることなんです。
小清水で創り出す、大きな希望
ー最近、クラウドファンディングを活用して新たな挑戦をしているのですよね。
矢島衛さん:そうなんです。元々、EALY CAFE(イーリーカフェ)をオープンした2016年から、「善根宿NITE(ぜんこんやどないと)」というイベントを定期的に開催していたんです。しかし、コロナになってから開催できていなくて。そして同様にコロナの影響でストップしていた農家民宿も同時に改装し、人が集い、出会える場所(カルチュラルスペース)を作ろうと思いクラウドファンデイングに挑戦しています。
それはイベント開催ができるくらいの空間に、バーカウンター、こあがり、ラウンジを造り、大人だけでなく子供にも、そして友人同士だけでなくお1人様にも満喫していただける場所にします。
矢島さんが挑戦するクラウドファンディング→https://www.sogood-fund.com/projects/spinatale-pj
ー善根宿NITEとはどんなイベントなのでしょうか。
矢島衛さん:善根宿NITEとは、元々ご近所のおばあちゃんの話から着想を得たイベントです。
ここ小清水は、柏崎と十日町をつなぐ街道でした。山を越える多くの旅人や商人を癒し、安全を祈願してまた送り出してきました。当時、集落の人々は旅人を自宅にも快く招き入れ、宿泊させてあげることもしばしば。
「夜な夜な旅人の話す遠い土地の土産話を肴に、家族で旅人を囲い、お酒を飲んだもんだ。子ども心に旅のお客さんが来た晩は楽しかったのを覚えている」
その話を聞いて、インターネットが充実しているこんな時代だからこそ、夜な夜な大人たちが山あいの集落に集まり、なにやら面白そうな話をしている、そんな光景絶対に面白いと思ったんです。
そういった構想などから、EALY CAFEのコンセプトは「山あいの小さな入口から始まる大きな出会い」としました。そして、オープン当初からユニークなゲストをカフェに招待し、夜に大人たちが集うというイベントを開催していました。
ーコロナによってコンセプト後半の「出会い」が閉ざされていたのですね。
矢島衛さん:そうです。元々EALY CAFEの建物はそんなに広い造りではありません。この場所に人を集めようとすると、どうしても密になってしまいます。また、有難いことにEALY CAFEはここ数年で多くのお客様に足を運んでいただける飲食店となりました。せっかくここまで来てくださった方々に、もっと小清水のことを知ってほしい、ここでの出会いからさらに何かが生まれてほしい、そんな想いで新たな空間(カルチュラルスペース)を造ろうと思いました。
ー今回のプロジェクトを通じて、小清水の将来にどのような想いを抱いていますか。
矢島衛さん:率直な想いとしては、やはり100年先までも小清水を残していきたい。日本の人口が減少していく中で、小清水のような中山間地のいくつかは無居住地帯となり、消滅してしまう集落だって必ず出てきます。そんな中、小清水集落は存在し続けてほしい。また、小清水集落を全国の過疎地域の成功モデルのような燈にもしていきたいと願っています。
また、私は「出会い=希望」だと思うんです。人が何かに挑戦したり、「よし、やるぞ!」と1歩踏み出す時ってなにかしらの感情の変化がエネルギーとなっていることがほとんどです。
その“感情の変化”を生み出すものこそが「出会い」ではないでしょうか。
新しい人、モノ、コトと出会い、自分の中に何かが生まれ、勇気や希望となって進み出す。
そんな「出会い」を、こんな山あいの集落で経験するからこそ、それはより一層特別なものになる。そこから生まれた“何か”は、きっと地域に希望を宿してくれる。そう信じています。
また、私は1人の親として、このプロジェクトで子供たちにとっての「出会い」も創り出していけると期待しています。
都会の子供だろうが過疎地域の子供だろうが、学校で受けている教育自体はそんなに大差ないと思うんです。根本のカリキュラムは国で決められていますから。
ではなにが違うかというと、それは人の数「出会い」の数だと思うんです。
私が小さい頃は、お祭りなどでこの小清水を訪れては、親戚たちや地域の方と同じ部屋で騒いで遊び回りました。いろんな大人がいて楽しかった記憶があります。
また、東京で生まれ育った私は、有難いことに多くの出会いを経験し、いろんなストックを溜めながら自我を確立させていきました。
そんな思い出があるから、自分達の子供にだって、小清水で育ちながらも多くの出会いを経験していってほしいんです。子供は未来。ゆえにそんな親心も、このプロジェクトには忍ばせているんです。
***
今回、とっても心温まるお話を聞かせてくださったのは、小清水集落を100年先まで残すために活動されている矢島衛さん。
文化やテクノロジーがどんなに進化しようが、人間の“気持ち”はそんなに変わっていないはず。
この景色をみて「綺麗だな」と感じる想いは、1200年前の先祖様たちもきっと同じ。
この言葉を聞いて、小清水集落に対する矢島さんの深い愛を感じました。
「出会いは希望」
それはどんな土地の誰にでも共感でき、体感することができるものです。
私自身がまさにそう。
東京で暮らしていた10年間より、新潟に戻ってからの1年半の方が出会いが多いから、やりたいことや希望を今とても強く感じています。
「出会い」がもたらすパワーを改めて認識できた取材でした。
- 矢島衛さん
やじま まもる|経営者
1984年生まれ、東京都中野区出身。大学卒業後、母の実家である新潟県柏崎市の小清水集落に移住。集落の活性化を始める。居酒屋、博物館、ITベンダー、農業法人などの仕事を経て、独立。現在は、農業を営みながら、カフェ(EALY CAFE)の経営と集落の氏神様の神主を務める。
EALY CAFE(イーリーカフェ)公式HP:https://ealy-cafe.com/
NPO法人SPIN A TALE(スピンアテイル)公式HP:https://spinatale.net/
クラウドファンディング:https://www.sogood-fund.com/projects/spinatale-pj
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