上越コンテナ商店街「フルサット」をNEXTステージへ!平原匡さんの挑戦とは

FURUSATTO平原匡さん

上越妙高駅西口から徒歩1分の位置にあるコンテナ商店街「FURUSATTO(フルサット)
この場所、実は約7年前までは何にもない更地だったんです。

“商店街”とは本来、人々の暮らしの中で長い年月をかけて形成されるもの。

ここフルサットは、この場所に新幹線駅が新設されることに伴って、「街づくり」「商業活性」「駅前開発」などの視点でゼロから作り上げられました。

“民間の立場から街を作る”

この挑戦を始めたのが、今回取材させていただいた平原匡(ひらはら ただし)さんです。
平原さんはFURUSATTO事業に奮闘する最中、ご自身の病倒やコロナ危機による飲食テナントの撤退等も経験されてきました。
それでも、歩みを止めずに前進する平原さんの覚悟から、地域に対する想いや、自分自身への信頼を読み取ることができます。

逆境に負けそうになっている時に、読んでいただきたい記事です。

 

上越をぎゅっと濃縮したショーウィンドウ「FURUSATTO(フルサット)」とは

FURUSATTO(フルサット)外観

新幹線開通計画に伴って計画された上越妙高駅前のコンテナ商店街『FURUSATTO(フルサット)

構想段階からの道のりは険しく、たとえ共感者は多くても資金調達やテナントマッチングに苦労したといいます。
それでも関係者1人ひとりに丁寧に説明して回った結果、
上越妙高駅開通から1年3ヶ月後、駅開業からは遅れたものの無事にオープン。
開業後はフルサットのユニークな取り組みと可能性に全国から注目が寄せられ、2017年には北陸建築文化賞、2019年にはLOCAL REPUBLIC AWARD佳作を受賞するという結果に

現在は、コワーキングスペースやサテライトオフィスなどの要素加わり、オープン当初の飲食テナントが並ぶ顔ぶれから少し変容しつつあります。そしてその変化の中、出来上がったのが『FURUSATTO UPS(フルサット アップス)』です。

新潟県が認定する、民間スタートアップ拠点の一つであり、起業家育成セミナーや起業予備軍へのサポートの場として機能しています。

FURUSATTO UPS(フルサット アップス)内観

 

地元でも、都会でもない、佐渡島で学んだこと

ー平原さんは大学で歴史的建造物を通じたまちづくり建築分野を研究されていたのですよね。

平原匡さん:そうです、僕は古い建物が特に好きなんですよね。建築学科の中には建築史という分野があって、歴史的建造物を調査して、その建物にどれくらいの価値があるのかを大学院生として研究していました。

当時は『東京人』という雑誌が好きで(笑)誌面で紹介されている古くてレトロな建物を巡り歩くのが趣味でした。しかし、あるとき教授から「東京はもう(歴史的建造物の研究は)飽和している。きみの地元は新潟なのだから、新潟に帰って研究フィールドを探した方がいい」と言われたんです。当時は都市部の再開発が進み始めた時期で、そんな都会に馴染まないと思われたのでしょう(笑)そして、真逆の佐渡島を提案され、研究訪問をすることになったのが佐渡島に行ったきっかけです

佐渡の観光事業か携わる平原さん

ーそこから佐渡に移住する流れとなるのですね。

平原匡さん:そうです。ただ行くのではなく、後輩たちを何人か連れて卒業研究のテーマを見つけたり、論文作成を手伝ってあげたり、チーム編成をして、いわゆる世話役をしていました。何度か佐渡を訪れるうちに、佐渡の奥深さを知り「研究フィールドとしての価値を知り、何よりも佐渡に向き合う日々が、出会いが楽しい!」と気付きました。

最初のうちは研究助成金付きで、駐在員のように移住したんです。

 

平原さんが修繕した佐渡能部隊

 

ー佐渡では、具体的にどんな研究をしていたんですか?

平原匡さん:佐渡には元々、ひとつひとつの集落に必ず能舞台がある神社が存在したと言われているんです。その名残で、当時でも約35箇所に能舞台が残っていたんです。その実態を調査して、今後どう活用していくかを研究していました。

実際には、手入れされずに荒れてしまった能舞台を掃除するところから始まります。茅葺き屋根が壊れていたら、地元の職人さんたちと協力しながら修復をします。

東京の大学からの「訪問」ではなく、実際に移り住んでそこの住民になったことで、より地域住民の輪の中に入っていくことができるようになりました
しかし、途中から助成金の期間が終了することになり、アルバイトなどをしながら収入を確保し、自分のやりたいことや地域を良くしていくための活動を続けていました。

 

ー就職をしようと考えたことはありませんでしたか。

平原匡さん:もちろん、選択肢として考えたことはありました。特に大学からの研究費が無くなる時などは、「いよいよ就職か、でも今更だよな」などと悩みました。

しかし、元々組織に属するよりも自分で何かをしたいという意識を持っていたので、企業に就職するという意識は低かったんです。結局、NPO法人化して当時の活動を続け、組織体制を整備しながら、事業を作り、収入を得るという方法に至りました。

 

「訪れる人」と「迎える人」が集う場所を作りたい

FURUSATTOイベント風景

 

ーそんな中、どのような考えから上越に戻る決意をされたのでしょうか。

平原匡さん:2011年の東日本大震災をきっかけに「ふるさと」への想いを強く意識するようになったからですね。また、当時佐渡でも、Uターンして活躍していた同世代の姿に刺激を受けていました。

ふるさとに戻れるって少し羨ましいと思いました。自分のルーツは上越にある。今こそ故郷に帰る時なのではないか」と考え、上越に戻る決意をしたんです。

 

ー上越に帰郷し、まずはどんなことから取り組んでいかれたのですか。

平原匡さん:私がUターンした2012年頃、上越は数年後に新幹線駅の開業を控えていました。工事は急ピッチで進んでいた一方で、駅周辺のまち開発については目ぼしい動きがなく、地元がチャンスを掴みきれていないように感じました。「このままでは、地域外の資本によって新駅周辺は運営されて、我々のような若手が入り込むスキがなくなる。やがて駅前が発展した際の、地域出店事業の受け入れ先が必要だ」と考えたところから始まったのがフルサット構想です。

そこからは、とにかく人に説明して回り、駅前の土地所有者からの理解を得て、建築家の中野一敏さんとイメージを作り上げていきました。
民間事業者が、「ゼロからを作る」という取り組みは、それなりに高い壁でしたが少しずつ理解の輪を広げて今に至ったと実感しています。

 

コンテナ商店街フルサット、次なるステージへ

FURUSATTO UPS外観

 

ーフルサットアップスはどのようにして誕生した施設なのでしょうか。

平原匡さん:元々フルサットがオープンした当初から私が目指してきたものは「場所づくり」でした。そのために、起業家向けの場所やコワーキングスペース、シェアオフィスにも関心があったんです。

実際には、2018年春に株式会社クラスメソッドが入居してくれ、飲食以外での拠点整備がスタート。地域と企業との交流もスタートしました。
従来の地元ビジネスとは違う新しい風が吹き始め、地元の小学生たちとの地域交流も生まれてきた時に、「やっぱりそうだよな。これからはどんどんこういった展開もしていきたい!」と思ったんです。しかしそんな矢先に僕が病気になってしまい、計画が一時ストップします。
自由に使えなくなってしまった身体との生活に慣れには時間がかかりました。そして、そのままコロナ禍に突入。

その中で、最初に入居してくれた株式会社クラスメソッドと協力して、新潟県の民間スタートアップ拠点支援事業に申請し、採択が決定。何かを新しく始めたい人を支援する「FURUSATTO UPs(フルサットアップス)」を立ち上げました。

 

ーフルサットアップスの取り組みと今後の展望を教えてください

平原匡さん:フルサットは現在第2フェーズに入っています。

最近はフルサットからも少しずつ新しい事業が誕生している状況です。これからは、地方で新しいことを始めたいとモヤモヤしている人たちをもっと見つけていきたいですね

モヤモヤを抱えている人は起業家の卵になりうるということを、本人たちの多くは気がついていません
そのため、その人達に向けてフルサットでセミナーを開いたり、相談を受け付けたりもしています。コロナ禍で環境が変わってから、組織に頼らず個人で生きるチカラを身につけようとする風潮が高まり、起業希望者は増加傾向にあります。我々は、そういった方々の手助けを、上越で取り組んでいこうと思っています。

 

***

今回は、フルサットを運営する北信越ラボ代表の平原匡さんにお話を伺ってきました。

ゼロから商店街をつくる過程の中で、平原さんが大事にしてきた想いの一つが「他人に期待するよりも自らの一歩を」だったそうです。
そんな挑戦を次なるプレイヤーへと繋ぐ、FURUSATTO UPS(フルサット アップス)の今後にも期待したいです!

あなたは平原さんの挑戦から、何を感じましたか。
さまざまな方の経験から、明日の自分をちょっぴり生きやすくするヒントをぜひ探してみてください。

 

平原 匡さん
ひらはら ただし|経営者


上越市出身。高校卒業後、大学進学のため上京。大学院に進学し、卒業後は佐渡に移住する。島にて各種、地域活性化に取り組んだのち、上越市にUターン。(株)北信越地域資源研究所を設立し、フルサットを開業。2017年に大動脈解離となるも一命を取り留めて今に至る。現在は、上越エリアのスタートアップ支援拠点の運営を通じて、起業家育成のため精力的に活動している。

FURUSATTO公式HP:https://furusatto.com/

関連記事

起業率低い新潟、だからチャンス! 既にご存知な人も多いかもしれませんが、新潟県の開業(起業)率は全国的にみても、最下位に近い低さです。 その原因と考えられているのは、廃業率の低さ、起業志望者の県外流出など。 廃業率が低いことは良い[…]

新潟×起業家サムネイル
関連記事

今回は新潟にUターンをし、麒麟山酒造株式会社を継いだ齋藤俊太郎さんにインタビューを行いました! 地域に根付く名峰 麒麟山。そして、日本を支える伝統文化 日本酒。創業から179年、代々の当主は淡麗辛口の酒造りを頑なに守り続けています。 そ[…]

麒麟山酒造の齋藤俊太郎