価値なきところに可能性と価値を吹き込む!越後薬草と塚田社長が創り出す、変化を力に変える組織力

父から、突然渡されたバトン

そんな越後薬草を1代で築き上げたお父様が2019年某日、心筋梗塞により突然他界されてしまいました。亡き父の会社と意志を継ぐべく2代目社長として就任した塚田さん。

越後薬草の蒸留所内

 

ー突然社長就任のタイミングが訪れた塚田さんですが、どんなことに1番苦労されましたか。

塚田和志さん:リーダーとして50人にのぼる組織の上に立ったことなんてないですし、それまでの越後薬草は父のある種カリスマ性のままに感覚的な経営で成り立っていたので、会社が全く組織化されていなかったんです。

私たちは当たり前すぎて気が付かなかったのですが、「部」などという組織がなかったりして。
みんな組織的な境目などはなく仕事をしていたため、まずはそこの組織づくりからテコ入れを始めました。

 

ー会社の組織改革から始まったんですね。その当時、現在の注目商品である「YASO」はまだ開発途中だったんですよね。

塚田和志さん:そうです。元々お酒事業は、僕たちが作りたかったわけではなくて、偶然できてしまったものなんです。越後薬草の酵素を作っている過程でアルコールが生まれるんですが、そこに酒税がかかってしまうことになって、お酒の製造免許を取得しないと酵素自体も作れなくなり、本業ができない事態に陥ってしまったんです。

そんなふうに、私の社長就任のタイミングは会社としてもネガティブなことが続いていました。
そもそも、お酒のこともほとんど知らないし、ジンというお酒を飲んだことも無いような状況でした。

しかし、それこそ副産物として生まれたアルコール、うちにとっては0円のもの。だからこそ、これをうまく使えたら価値のないものに価値を創り出すことができる。会社としても、私自身もかなりのエネルギーを注いで事業化させました。

でも、社長が代替わりしていきなり「お酒作るよ〜」なんて言ったら、社内が騒然とするじゃないですか(笑)そんな組織を導くのも労力がかかりましたし、組織改革も行いながらだったので、もうとにかく大変でしたね。

 

ー社長が変わったことやYASO事業の展開など、会社自体が大きな変化をする中で、そこに耐えられず離れていってしまった人もいたのではないでしょうか。

塚田和志さん:1代で会社をここまで大きくした大黒柱を失ったので、みんな騒然としていて、当然社内からは不安も出ていました。

社長の座を引き継いだ際、会社の色を守ることを意識はしていましたが、当然父と私では人格も考え方も異なるので、若干の違いが生まれます。そこに対して、不満を持った一部のベテラン社員は辞めていきましたね。自身の引退期なども考慮しての選択だったかと思います。

最終的に、その変化によって社員の平均年齢が約50歳から約30歳になったため、ある意味会社として新陳代謝したのだとポジティブに考えています。

創業47年の越後薬草ですが、社員の平均年齢は30歳、不思議な会社ですよね(笑)
でも、会社として活気があって、自由に働ける環境はあると思います。

 

ー急な環境の変化に対して、塚田さん自身もご不安はあったかと思いますが、どのように向き合ってきたのでしょうか。

塚田和志さん:不安はもちろんありますが、人の悩みって結局いくら悩んでも解決しないんですよね。だから、私の中で出ている答えは、悩みや不安があっても気にしない、悩まないことなんです。
悩んでも、自分の実力以上にはならないし、周囲の人に助けてもらいながらなんとかするしかないって思っているので。
だからこそ、私もそれまでに作った人脈に頼ることにしました。

うちの会社のメンバーには、私がないものを持っている人がいるので、私にできないことを補ってくれてバランスが保てていると思います。

そこが結局、父の教えであった「可愛がられる人になりなさい」というところに繋がってくるのかもしれませんね。

 

ー塚田さんは越後薬草をどのような会社だと思っていますか。

塚田和志さん:僕らは本質的にものづくりをする会社だと思っています。何を作っているのか、何を売っているのか以前に、ホンモノを作る技術力や製造力に誇りを持っていきたいです。

いまは、酵素やお酒、キムチを作っていますが、これがもしダメになっても僕たちは次にお客さんや時代が求めているものを作っていけるという考えなんですよね。
そういう力が、越後薬草の財産だと思っています。
だからこそ、これからもどんどん面白いことに挑戦し続けていきたいです。

 

越後薬草の蒸留所

 

***

 

今回は、株式会社越後薬草の2代目社長、塚田和志さんにお話を伺いました。

先代が築き上げた組織の大事な部分は変えずに、一方で変化とともに進化した部分ではどんどん挑戦していく、老舗であるにもかかわらずにベンチャーの側面もある越後薬草から、今後も目が離せなさそうですね。

また、会社とその代表のお話から、親が子供に教えてあげられることを改めて教わった気がします。

 

塚田 和志さん
つかだ かずし|経営者


1989年生まれ、新潟県糸魚川市出身。新潟ビジネス専門学校を卒業後、有名料亭にてマネジメントを学び、家業の株式会社越後薬草に入社。2019年に代表へと就任。2020年、新たにスピリッツ・クラフトジンの製造販売を行う社内ベンチャーを立ち上げる。

株式会社越後薬草公式HP:https://echigoyakuso.co.jp/

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