今回は、新潟に拠点を置きつつ、日本全国や世界で映像/WEB/グラフィックをはじめとした各種クリエイションを提供する会社、株式会社ソルメディエージ代表の丸山健太さんにお話を伺ってきました。
会社としての挑戦や、丸山さんご自身のルーツを辿るお話から、仕事や新潟に対する想いに触れました。
無力さの痛感から、“いつものまち”を魅せる仕事へ
ー丸山さんの現在の事業へのつながりや、ソルメディエージの始まりについて教えてください。
丸山健太さん:ちょうど大学へ進学した頃、コンピューターリテラシーが唱えられるようになり、これからの時代、パソコンは1人1台というくらい身近なものになると言われていたんです。学校の授業にもパソコンが導入され、個人が所有するレベルの機材でも映像編集ができるような時代になってきていました。今でこそ、スマートフォンで簡単に動画が作れますが、当時はある程度パワーのあるパソコンを調達出来れば映像編集ができるような、そんな転換期の時代でしたね。
当時の私は、映像制作がすごく好きで、VJと言われる音に合わせて空間で映像演出することにハマっていました。自分がクラブでDJやスタッフとして働いていたこともあって、クラブで映像演出することに夢中になりました。
映像による空間演出から、照明による空間演出にも興味の幅を広げ、そのまま新卒で都内の照明会社に就職しました。その後新潟に戻り、25歳の時に当時のVJ仲間で、WEB制作のスキルが必要になってきた時代でしたから、映像以外のデザイン、WEBの技術を持つ人間が集まって3人でスタートしたのが今のソルメディエージになります。
最初は個人事業として始め、2年目の2005年に法人化しました。創業でいうと来年で20周年になります。
ー創業10年目くらいのときにプロジェクションマッピングへの挑戦が始まるんですね。
丸山健太さん:2011年に東日本大震災が起きて、仕事が無くなってしまったんです。そこで、自分たちのやっている仕事ってこういう時には無力なのだと気づかされました。時間ができたので世界のクリエイターの動向をYouTubeで観ていたときに、欧州のクリエイター達がプロジェクションマッピング(ビデオマッピング)をやっていると知ったんです。プロジェクションマッピング自体は、昔からの演出技法で知ってはいましたが、当時は大手しか出来ない技術が、個人や小規模のカンパニーでも実施できているということに衝撃を受けました。弊社も空間に映像をVJとして照射することには慣れていましたし、機材もあったので、海外のソフトを調査しながらプロジェクションマッピングにチャレンジしてみたんです。これが始まりでした。
この時の感覚は、私がVJを始めた時に感じた「夢中」と似ていて、そこから当社のプロジェクションマッピングの挑戦がはじまりました。
テスト的に作成した動画をYoutubeに上げると、友人の結婚式や、車への演出等でなにか面白いことができないか、と周りから言われるようになり、少しずつ要望も増えていきました。
そんな2012年頃、新潟市とも大幅な街への映像、照明を使った観光資源政策がスタートします。新潟市はフランスのナントと姉妹都市なのですが、視察で訪れたヨーロッパの光や映像を使った施策をヒントに、新潟市も光や映像の演出で観光資源を盛り上げていこうと大きく動きだしました。
そして、新潟市と街中にプロジェクションマッピングやライトアップを主軸とした「光の響演」をはじめ、市民の方々にも認知していただける事業を多く創出、お手伝い出来ました。それ以来、会社の名前も認知され、プロジェクションマッピングやライトアップの演出が評価されるようになりました。その後、一般財団法人プロジェクションマッピング協会様のご協力のもと、東アジア最大級のプロジェクションマッピングの国際コンペも2回開催できるまでに成長しました。
ーその中で、新しく見えてきたことや気づきは何ですか。
丸山健太さん:私たちはただ新しいことをしたいわけではなく、自分たちが住み暮らす新潟の魅力を再発見して欲しいと思っているんです。近頃は家族みんなで花火を見に行くような習慣も薄れ、そのような経験を楽しむ人も減ってきています。
しかし、プロジェクションマッピングを実施したところ、約7万人の動員もあり驚いたのを覚えています。
アンケートには、ライトアップしたやすらぎ堤を「毎日、通勤や通学で通っていた道ってこんな素敵な雰囲気だったんだね」や、「新潟ってやっぱり素敵だね」といった声がありました。
それらの感想を見て、自分のやってる仕事が、こういう影響を生み出せることを嬉しく思いました。
「新潟は何もない」とよく言われていますが、普段と違う視点で見るとこんな素敵な景色があると、新潟の良いところを再認識した声に感銘を受けたんです。
この経験から、私たちが社会に対してできることは「まちづくり」であり、これは会社の社会的使命として向き合おうと思い始めました。その後は、新潟だけでなく日本全国でそういったまちおこしを仕掛けるようになりました。
しかし、昨今の新型コロナウイルスの流行で行動が制限され始め、弊社の動きも制限されるようになりました。
2011年同様に、自分ができることを考え直す時間ができ、新潟にもう一度向き合っていかなきゃいけないと決意して、再び新潟に種をまき始めたところです。
原点は、ただひたすらに”夢中”を支えてくれた両親
ー丸山さんの幼少期はどんな子どもでしたか。
丸山健太さん:人と同じことをしたがらない子どもでした。流行りものには一切手を出さなくて。今また話題になっているスラムダンクも読んでいませんでした(笑)
幼少期から、自分が夢中になるものだけをやってきたので、継続しているものは多いです。ひとつに絞るわけでもなく、興味を持った色々なものに挑戦していたので、経験値も人一倍多いのではないかと思います(笑)
そうできたのは、両親のおかげもあります。興味のあることは全部させてくれようとしていましたし、いい大学や会社に入れとか、勉強しろとはあまり言われませんでした。もともと成績は良かったのですが、途中で勉強がつまらなくなって、どうでもよくなってしまって。そんな時期でも、親は私が興味を持っていることをただひたすらにやらせてくれました。
弊社のサービスも流行りものではなく、自分が興味を持つものを主軸にサービスが増えていった感じです。それはうちの会社の人たちも同じで、仕事にすごく興味を持って夢中になる人たちが集まり、新たなサービスや価値を生み出していくような、そんな会社になっています。人が夢中になったときの熱量は努力以上になります。うちの会社の軸はその夢中ゆえの熱量にあり、「仕事」を常に夢中で楽しむということが、弊社の大きな原動力になっています。
ー例えば、幼少期はどんなことに興味を持っていたのでしょうか。
丸山健太さん:私が小学校1年生くらいのとき、ファミコンが販売され始めたんですが、親はファミコンを買ってくれませんでした。「それよりも、パソコンにしたら?」と言われ、小学校1年生から、”ベーシック”という言語を扱える「MSX」という家庭用のゲームもできるコンピューターを持っていました。クリスマスや誕生日に、友達はファミコンソフトを買ってましたが、私の場合ソフトではなくパソコンのプログラムが全部記述されている本でした。それを打ち込むと、ゲームができたんです。もちろんカセットを差すとゲームができる機能もありましたが、自分の手で打ち込んだものでゲームができること、それがプログラムと分かり高揚したのを覚えています。
そんな小学生だったのでクラスに1人か2人くらいだけパソコンを持っているような当時からブラインドタッチができました。小学校4年生頃にはパソコン通信をしていて、当時の通信は電話回線を使用するので、ある時電話代が6,7万になって親に怒られた記憶があります。
そこで、アマチュア無線の勉強をして、中学1年生頃にはパケット通信を始めました。幼少期のころから機械とか工学系がすごく好きだったので、今のルーツはそういうところにあるんだと思います。
ー今に大きくつながっている部分ですね。
丸山健太さん:人と同じことをしたくないという思いはありますが、その反面で、どうやったら人が驚いたり、面白がってくれるのかといったことは、子どものころから常に考えていました。むしろそのために、人と違うことをしたいんです。今も、既にあるものではなく、新しい発想が人や世の中のためになったり、依頼してくださったお客さんの驚きや喜びに繋がることが一番嬉しいんです。
もともと、ビジネスライクに会社を始めたわけではなく、似たような人間が集まって必然的に会社になっていったのが正直なところなので、上場したいとかギラギラした野望を持ってスタートしたわけではありません。ですが、やりたいことに関しては思い切った投資をする会社です。夢中になっている人たちが、圧倒的な環境を使って仕事に向き合うことができる、これこそが大きなアドバンテージとなっています。その投資の姿勢は、しっかりと業績にも比例してます。
弊社は、映像も作りますし、Webやデザイン、VRスタジオもやっていますが、やりたいことを追及していたら増えていっただけなんです。例えばお客さんから、100万円の予算でホームページを作って集客したいと要望を受けたとき、Webが最適なメディアであるとは断定できないわけです。
その100万円を使い、どのように効果的にお客様の目的を達成できるかが大事です。
そこでの目的を叶えるための選択肢は多いほど優勢になります。要は引き出しです。
様々な戦略がある中で、弊社は社内一環で取り扱える技術や知識も経験もあるので、予算内でスピーディーかつ、効果的に動くことが可能になります。同じ予算でも様々な角度からやれることが圧倒的に多いんです。
このように、様々なお客様のニーズに合わせて最適なハードもソフトも提案できるのが弊社の強みです。
また、うちの会社には営業という部署がありません。
その代わり、技術者それぞれが打ち合わせでお客さんの話を聞いて、その場で提案できます。これは良いことばかりではありませんが、技術側からのアウトプットも明確になることで一貫性のある提案が可能になります。
弊社の社員は、作業員ではなく技術者であり提案者であり、1人1人がスペシャリストとしてお客様と向き合っています。
社員個々の個性を尊重し、”夢中”から生み出される技術や発想は、個人にとってもクライアントにとっても、互いにWINな関係を生み出します。
無論、大きな責任と向き合うこともありますが、うちの社員は会社が無くなっても、どのような国や会社に行っても非常に重宝される人材になっていると思います。
ー好きをそのまま生涯の仕事にできる人は数少ないですよね。途中で諦めてしまう人との違いはどこにあるのでしょうか。
丸山健太さん:仕事はとてもシビアな世界です。この資本主義経済の日本に生まれ起業するということは、売り上げや利益も求めなくてはいけません。正直に言えば、悩みもトラブルもあります。そういう乗り越えなきゃいけない壁とぶつかった時に、どうポジティブに捉えられるかってことがとても重要です。
例えば朝起きて、やらなきゃいけないことが山積みで、先が見えないとしても、行動してみたら気持ちが楽になることもありますよね。何事もそうだと思います。行きたくないけど行ってみたら出会いがあったり、話してみたら気が楽になったりとか。仕事でもなんでも、やってみて、それをどう自分でポジティブに捉えられるかが大事だと思います。
どれだけ夢中になってやっていても、その捉え方ができない人が多いんです。みんなにそういう壁はありますが、それにぶつかったときに、ポジティブに捉えて越えられたかどうかの違いじゃないですかね。何事も経験と捉えるか、自分の不遇と捉えるか、新しいことにチャレンジする時にどう捉えるかで大きな違いがあるのだと思います。
- 1
- 2