今回は株式会社KUNOの代表、佐藤傑さんにお話を伺ってきました!
株式会社KUNOは、AIの導入/運用サポート・WEBクラウド・スマホアプリ・IoT開発/運用など、最新の技術力をもってクライアントの課題解決に寄り添う会社です。⇨詳しくはこちら
代表の佐藤さんは、新潟県長岡市出身。東京でエンジニアとして、最先端のシステム技術に触れる中、2020年に新潟へUターンします。
現在は東京と新潟に会社拠点を持ちつつ、地方創生のための活動にも尽力されています。
この記事では、佐藤さんのこれまでのストーリーを紐解きながら、新潟へUターンして3年ほど経つ今、新潟について思っていることは何なのかを深掘ります。
「自分のやりたいこと」って何だろう
佐藤さんは、幼い頃から母親に「やりたいことをやりなさい」「個性的でありなさい」と常に言われてきたそうです。この言葉が、自分を悩ませ、一方で自分を形作ってきたと、佐藤さんは言います。
小学校2年生の時に経験した父親の死によって、友人との関わり方が変わり、友人とは違うことをしたい、できないことをできるようになりたい、という思いが強くなっていったそう。
しかし中高時代は「目標探し」に悩まされ続けます。
やりたいことは何なのか、目標を早く見つけなければと焦る中で、自己嫌悪に陥ることも多々あったのだとか。
そんな佐藤さんが初めて目標を持てたのは、大学時代。新聞配達のアルバイトに対してでした。
当たり前のことを地道に行い、社会人としての基礎を身に着ける一方で、信頼を得てバイトリーダーになり、組織をマネジメントする立場になります。周囲の人を支えることで称賛を得る経験を通して、それにやりがいを感じる、自分の新たな一面を知った佐藤さん。これを機に、目標は初めから設定するものではなく、行動する中で自分で立てていけばいいのだ、と気づきます。
それからの行動力は、今にも繋がっていきます。
そりの合わない大学を中退し、新聞配達のアルバイトに熱中。
しかしある時、アルバイト仲間の自殺をきっかけに、大きな目標が生まれました。
「死ぬときに『いい生き方をした』と思える生き方をする」
死を意識して、それが人生のゴールだと気づかされた佐藤さんは、それを人生の目標に据えます。
その後、アルバイトをやめ、フリーランスのエンジニアとなって成功。
リーマンショックの荒波も、時代の先を読んだ、android学習コミュニティ「Kunoichi」の設立で乗り越えました。その成功で、android開発の先駆者となった佐藤さんは、ソフトウェア開発会社から声を掛けられてジョイン。執行役員にまでなり、業績はうなぎ上り。
しかしそんな頃、突然会社が買収され、方向性の変化に戸惑った佐藤さんは、自分のやりたいことをやるために会社を立ち上げることを決意します。こうして、「株式会社KUNO」が誕生しました。
佐藤さんがKUNOのビジョンとして掲げる「happy-happy」。
ビジネスにおける「win-win」という言葉はよく聞きますが、「儲ける-儲ける」という意味合いになりがち。そうではなく「世の中をハッピーにして僕もハッピーになりたい」という想いのもとに生まれた言葉です。
実際にお話を伺うと、佐藤さんからは常に「世の中、みんなを幸せにするために」という気持ちが伝わってきました。
そこには、佐藤さんの生い立ちなどが大きく影響していたのですね。
新潟に帰ってきて、思うこと
ー長岡で事業を展開することにしたのはどうしてですか?
佐藤傑さん:東京で仕事をしていくうちに、好きなことを仕事にしたいという思いが強まっていったんです。それで好きなことを改めて探していて、久しぶりに地元に戻ったときに、地元が好きなことに気が付きました。同じ環境で育った人たちとは共通点が多いので共感ができて、共感できる人たちとは仕事がしやすいと感じましたね。
加えて、僕は学生時代に悩んだからこそ今があると思っているので、地元には感謝の気持ちがあります。
そこで、自分が好きな長岡を、外からみて憧れるような「かっこいい都市」にすることを、僕の次の目標に据えました。
当時は「長岡」という範囲がちょうどいい規模だったので、設定した目標でしたが、今は「新潟」まで広げています。やっていくうちに、長岡だけを良くしても長岡のためにはならず、周りの地域との連携も必要だと感じて。そう考えると、自分は長岡も、新潟も、日本も、好きなんだと気づかされました。
ー地方であることは、弱みにはならないのでしょうか。
佐藤傑さん:実は今、特にIT業界では、日本は他国に大きく遅れを取っています。ですが東京は、もはやガラパゴス化してしまっていて、変えられそうにない。そこでむしろ、まだ何色でもない地方にこそ、可能性があると思うんです。
今後は、山口県にも支社を出すことを考えています。地方同士の課題やその解決方法は似ているのではないかという仮説を、検証してみようという実践です。地方同士が繋がれば、首都圏を越える経済圏になりますからね。なぜ山口かというと、山口の誘致担当の方の情熱に押されて、そういう方と一緒に仕事がしたいと思ったからです。
ー長岡で仕事をしていくにあたって大事にしていることはありますか?
佐藤傑さん:今年のテーマは「頼まれたことは全てやる」です(笑)
お願いされるうちが華だと思うんですよね。お願いされて、それをやって、感謝されて、次のお願いに繋がって。そういう循環の中に、会社の事業としても入っていくことを目指しています。お願いされて応えられる会社なら、自分たちのお願いも聞いてもらえますからね。
地方に来て、そのギブアンドテイクの関係性をより感じます。東京なら損得だけで結べていた関係が、新潟ではそのことへのコミットも求められたり。自分たちがまず与えることを意識して、長期スパンで考えるようにしています。
そこに暮らす人々を、もっと巻き込みたい
ー今の新潟のいいところや課題はなんだと思いますか?
佐藤傑さん:地域の経営者同士のコミュニティが発達しているのはいいところだと思います。近年の新潟って情熱のあるキーマンが多いですよね。全国的にみてもNINNOのようなコミュニティって珍しいと思います。
その中で、私自身の役割としては「もっと地元の人と共に何かをする」というところに価値があると思っています。
だから課題は、地域で暮らす人をいかに巻き込めるかだと考えています。NINNOのプロジェクトに絡めていうならば、「産産官学」に「+人」も加えていく。それが私の注力していきたい課題ですね。そこで暮らすおじいちゃんおばあちゃんまでがイノベーションに触れ合っているような地域ってかっこいいですからね!
あとは、海外の方の受け入れも、怖がらず進めなくてはならないと考えています。そのために、新潟はもっとオープンにならなくてはならないと思います。新潟と東京を比べるのではなく、もっと広い、グローバルな視点を持つことが必要ではないでしょうか。
ーなるほど…課題は多いですね。
佐藤傑さん:課題が多いというより、課題と捉えるべきものとそうでないものを混同していると感じています。課題というのは本来、目標と現状の差分のことを指します。だから、まず目標とする姿がないと、解決すべき課題は見出せないはずなんですよね。コンサル業務を始めたのも、この課題の捉え方を伝えたいと思ったからです。無理に課題を見つける必要はなくて、ないならないでそれをそのままに捉えるべきなんです。
ー佐藤さんご自身としては、今後取り組みたいことのビジョンなどはありますか?
佐藤傑さん:先ほど地域住民との重要性に触れましたが、地域と深くつながっているのは地元企業ですよね。僕は地元出身者であり参入企業でもあることを活かして、これらを繋げる役割を果たせたらと思います。さらに、長岡市と新潟市そして他の地域まで、役所の方以上に広い地域に関われる自分だからこそできる繋げ方があるのかな、と思っています。
個人的には今、リアルの関わりを持つためにも、新潟で開催されるマラソンやトライアスロンに積極的に参加しています。「地方創生」って行政の偉い人と一緒にやることじゃなくて、住んでいる地域の方とやらなくてはならないことだ、ということに、新潟で活動し始めてから気づかされました。「起業家・経営者」とかでなく「地方創生おじさん」的な存在として、リアルでの関わりを大切にしていきたいですね。
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今回取材させていただいたのは、株式会社KUNOの代表、佐藤傑さん。
この取材を経て記事を作りながらも、佐藤さんの脳内ビジョンをもっと深掘りして聞きたいことがボロボロと、、、。
(わたしのインタビュースキルはまだまだなのです。)
ということで、この記事上で佐藤さんへの次回の取材をリクエストさせていただきます!
みなさま続編がアップされるのを乞うご期待ください!
佐藤さんの思う「かっこいい都市」って?
住んでいる人たちと佐藤さんがやる「地方創生」って?
そんな疑問を、次回はぶつけに行きたいと思います!
- 佐藤 傑さん
さとう すぐる|経営者
1974年、新潟県生まれ。明治大学理工学部を中退後、フリーエンジニアとして活動。2009年3月にAndroid研究会『Kunoichi』を立ち上げ、同年10月にアスカ・クリエイション株式会社に入社し、執行役員に就任。その後、数社を経て2014年8月に株式会社KUNOを設立。日本初のTensorFlowのイベントであるTensorFlow勉強会を2015年に開催、その後TFUGにオーガナイザーに就任。Happy-Happyをモットーにドラえもん創りを目指し日々楽しく活動中。
株式会社KUNO公式ホームページ:https://kuno-corp.com/
(取材:ayaka 編集:櫻田芽衣・ayaka)