庭は人の心を豊かにする。庭師、室橋拓弥さんの仕事に対する想いとは

室橋拓弥さん

庭を眺めていると、心が安らいで心身ともに癒されますよね。
カリカリしていたり、心に余裕がない時って、身近にある樹木をわざわざ見ようと意識なんてしませんし、目に入ってもなんとも思わないことがほとんどです。

しかし、疲れて帰った自宅に自分の思い入れのある庭があったら、もしくは休日に樹木を感じられる過ごし方をしたなら、きっと心が癒されて、少しだけ余裕ができたりしますよね。

植物がもつ癒しの力は、おそらくほとんどの方が感じたことのあるところでしょう。
また、健康的な樹木を1本でも増やすことが地球環境の保全につながるということも、言わずもがな理解されていることと思います。

しかし、山を守る役割を担っている林業従事者や、庭を守る造園業者も、近年は職人の高齢化や後継者不足などの問題が深刻化しています。人と植物、植物と地球は切っても切り離せないものなのに、それを直接的に守り繋ぐ職人は減っている

今回は、みなさんに少しでもこれらの職業について知っていただきたく、取材をしてきました。
長岡で造園業「にわ彌(niwaya)」を営む室橋拓弥さんのキャリアにおける話を通して、庭師という職業に触れてみてください。

 

庭師の仕事とは

にわ彌

庭師とは、庭を造り出す専門家のことを言います。ここで一言に「庭」といっても、それを造るのに求められるスキルは多種多様です。樹木の知識とそれを管理する技術はもちろん、土壌や石の知識、空間デザインのセンスなど。
また、フィールドも個人宅の庭だけでなく、公園や道などの公共空間、レジャー施設などの大規模空間、海外の庭園といったように様々です。

今回取材をした、室橋拓弥さんは庭師の仕事についてこう説明してくれました。

庭師は、心を豊かにする空間を造るのが仕事です。そのために、お庭の樹木や草花が健全に生育するためのメンテナンスがとても大切なんです。
わたしは自分の仕事を、植物にとっての美容師さんだと思っています。それぞれの生え癖や質を見て、樹木の枝葉を剪定します。ただ短くするのではなく、お庭全体のバランスや風情を考えて、より健康的でより趣きある状態にします。
自然から学び、自然の力を感じ、丹精込めて造ったお庭こそが、見る人の心を本当の意味で癒せるものだと思っています。」

 

職人の経歴としては異例の「大卒庭師」

室橋拓弥さん

ー室橋拓弥さんが庭師になるまでの経緯を教えてください。

室橋拓弥さん:わたしの実家は祖父の代から造園業を営んでおり、幼い頃から父や祖父の仕事場に連れ出されては、庭師の仕事を身近に見てきました。サラリーマンの家庭を知らなかったこともあり、高校は当たり前のように農業高校に入学しましたが、敷かれたレールの上を歩いているような選択に少し違和感も感じていたので、造園ではなくあえて測量系の土木科に進みました。

しかし卒業後の進路選択では、当時興味があった環境問題や屋上緑化についてより深く学びたいと思い、東京農業大学の造園科学科に進学しました。結局、造園の道に進むことにしたんです(笑)

大学卒業後は、東京の星野造園というところに8年間お世話になり、30歳のタイミングで家業の造園会社に入社しました。その後、2020年に独立し、今は「にわ彌(niwaya)」を営んでおります。

 

ー高校時代になぜ屋上緑化に興味を持ったのですか。

室橋拓弥さん:ちょうどその頃、都心で屋上緑化が注目されていたんです。少し調べてみると、地球温暖化や都市のヒートアイランド現象を防ぐ効果があると。元々、環境問題には関心があったので、もっとよく知りたいと思いました。

しかし、大学でこれを深く知ったものの、これは行政のまちづくりや建築の一部であると感じ、もっと直接人と人との関わりの中で自然物を造り出したいと思ったんです。同時に、やっぱり最終的には地元長岡のために働きたいと思いました。

結局のところ、私は幼い頃に見ていた父や祖父の姿に憧れていたのかもしれないですね。

 

ー大学に進学した当初から、最終的には地元長岡に戻りたいと思っていたのですか。

室橋拓弥さん:いずれは継がなければいけないと、どこかで思っていました。でも、だからこそ大学の4年間で新潟を離れたことや、東京で修行を積めたことは僕の中での財産となっており、本当にこの選択をしてよかったと思っています。

 

ー大学4年間は、自分自身の今後を見つめるための期間だったとのことですが、実際にどんなことを考え感じていたのでしょうか。

室橋拓弥さん:大学の友人たちは全国各地から造園を学ぶために集まってきた人たちだったので、彼らの志の高さが大きな刺激となり、とても幸せな環境でした。授業以外の時間や休日は、日本各地にある造園を訪れて、その庭造りの素晴らしさについてとことん話しました。私自身の庭に対する想いは、大学時代に確立したような気がします

 

いつかではなく、いま技術を継承したい

室橋拓弥さん作庭

ー大学を卒業後、造園の設計職や監督業などではなく、現場で働く庭師職人になる道を選んだのですね。

室橋拓弥さん:そうです。しかし、大学を卒業して職人になるのは少数派でした。わたしの周囲は現場の監督業などに就く人が多かったですね。実際に今働いていても、現場の職人さんたちはどちらかというと高卒の方が多いです。

卒業後の道について悩んだ頃に思っていたことは、「自分が憧れて尊敬する庭師の方々は、ほとんどもう既に60歳を超えているのだから、いま学ばないと機会を逃してしまう」ということでした。職人にならず、設計などでどこかの会社に入り、その後に庭師になるのでは遅いと思ったんです

 

ー室橋拓弥さんがいくつかのコンクールに出場されているのは、星野造園さんの方針だったのですか。

室橋拓弥さん:いえ、そういったコンクールには個人的に出場しており、星野造園の方針だったわけではありません。当時の私は星野造園で培った技術を試すきっかけを求めており、行き着いた先がガーデニングショーに挑戦することでした

また、実際に出場したのは大学時代の仲間のおかげですね。
その友人は私よりも先に英国チェルシーフラワーショーに出場したんです。偉大な造園家である石原和幸さんがイギリスに引き連れるチームの選考をしており、そこで合格したことでチームの一員としてイギリスに行ったんです。
友人が帰国後に私と初めて会った際、イギリスでのことや石原和幸さんについての話をたくさん聞かせてくれました。

その流れから、私自身も外で挑戦してみようと思いました。友人に続いて、私も石原和幸さんのチーム選考会で合格をいただき、イギリスに行かせてもらいました。

 

ー実際に挑戦してみて、どんなことを感じましたか。

室橋拓弥さん:英国チェルシーフラワーショーは、作品1つ1つの魅せ方や世界観、日本文化との共通点や違いなどを目で見て肌で感じることができました。学んだことは、もうたくさんありすぎますね。

その後、大学の同級生たちとチームを組んで今度は全国フラワー&ガーデン選手権に出場しました。結果は惨敗でしたが(笑)
でも再度チームを組み直して、翌年の日比谷ガーデニングショーにリベンジしたところ、見事に賞を戴くことができました。

 

一度きりの人生、チャレンジしたい

室橋拓弥さんにわ彌

ー新潟に戻られてから、最初は家業の造園会社に入社されたんですよね。

室橋拓弥さん:そうです。家業で公共事業を中心に経験しました。公園や道路の街路樹を整備することも、もちろんやりがいはありました。しかし、もっと自分のやりたいことがしたい、一度きりの人生なんだからチャレンジしたいという想いから独立を決意しました。独立後は、国営越後丘陵公園の樹木管理の依頼をいただいたり、個人のお客様のお庭を手入れをさせていただいたりしています。

 

ー基本的には長岡市内を中心にお仕事をされているのでしょうか。

室橋拓弥さん:そうです。でも長岡市は冬に積雪があるので、樹木の冬囲いという作業をした後は暖かくなるまで庭の手入れ仕事がなくなるんです。他の庭師さんたちは、その間に別の仕事をされる方が多いです。しかし一方で、関東など積雪がない地域では年末や年度末が忙しい盛りです。そのため、1年間のうち5月〜12月は長岡を中心に、1月〜4月は神奈川へ拠点を移して仕事をさせていただいています。私が神奈川にいる間も妻は長岡で生活しているので、月に何度かは帰って来て単身赴任のような生活を送っています。

 

ー2拠点生活で大変なことなどはありますか。

室橋拓弥さん:大変なこと以上に、有り難さの方が大きいですね。しかし、やはり通年で庭師をすることができないという地元の現状は、どうにかならないものかと考えます。

わたし自身は2拠点にすることで生活を成り立たせていますし、そのスタイルができることは私の強みでもあると思っています。

しかし最近は庭師を目指す若者が少なく、人材不足という問題に直面している業界ですから、このような地域特有の課題もひっくるめて解決の糸口を見出していきたいですね。

 

***

 

今回は、長岡市にある造園業「にわ彌(niwaya)」を経営する室橋拓弥さんにお話を伺ってきました。

毎日何気なく目にしている街路樹や庭の植物。緑があることが当たり前すぎて、普段は視界に入っても特に何も感じないかもしれません。

しかしそんな方にも、庭師である室橋さんの視点を感じ、樹木や日本庭園に対する心の感度を高めてもらいたいです。

 

室橋拓弥さん
むろはし たくや|庭師


一級造園施工管理技士 / 一級造園技能士
1984年新潟県長岡市生まれ。東京農業大学造園科学科卒業。卒業後、東京赤坂で造園家・星野司郎氏に師事。多数の作庭業務に携わり、基本から庭づくりの伝統的技術を習得。新潟に戻り、地元の造園に触れながら公共事業にも携わり、工事及び管理業務の現場代理人を経験。2020年5月「にわ彌」として独立。長岡を拠点に活動し、新潟県内だけでなく冬季は関東へ出て日々庭師としての技術の向上と探究を続けている。

にわ彌公式HP:https://niwaya-nagaoka.jp/

関連記事

今、「庭師」とネット検索すると続いて出てくるワードは「仕事 辛い」や「年収 低い」などであり、庭師は一般的に「キツい職業」と認知されているようです。 今回はこの記事で、庭師のキツさを否定するつもりはありません。 しかし、そのキツさの[…]

にわ彌