埋もれた歴史を未来に!「新潟今昔写真」富山聡仁さんが描く街の未来

新潟の街に刻まれた過去と現在を繋ぐ「新潟今昔写真」。
代表理事の富山聡仁さんは、高校時代の先輩と共に、このユニークな取り組みを始めました。昭和の古写真を中心に、現在の街並みと重ね合わせる活動は、歴史と現代を結ぶ架け橋のよう。
これまでの活動を通じて、多くの人々が新潟の歴史に新たな視点で触れ、街の魅力を再発見しています。

この記事では、インタビューの中で見えてきた富山さんの想いと活動に迫ります。

富山 聡仁さん Tomiyama Toshihito

1980年生まれ。新潟市中央区出身。早稲田大学政治経済学部卒業、グロービス経営大学院修了。2004年に三井物産(株)に入社し、経理や事業投資、貿易業務に関わる。その間に財務省に2年間出向し、東南アジア向け政府開発援助(ODA)プロジェクトなどを担当。2015年に新潟市へUターン。現在は家業であるアルモグループ、中小企業向けの経営コンサルティングを行う (株)NEPPU JAPANにて代表取締役、(一社)新潟今昔写真は代表理事を務める。

古写真から辿る街の歴史

約10年前の2016年から始まった「新潟今昔写真」。
新潟県の過去と現在の写真を比較しながら、地域の歴史や変遷を振り返ることができます。

新潟今昔写真の活動では、古い写真を収集し、それらが撮影された場所を特定した上で、同じアングルから現在の風景を撮影して得られた”今昔写真”を、展示やSNS、スマホアプリで公開します。多くの人々に新潟の歴史を再認識してもらうことを目指します。
また、地元の学校やコミュニティセンターなどで講演会やワークショップを開催し、地域の歴史教育にも貢献しています。

そんな「新潟今昔写真」が2023年12月にスタートさせたのが「今昔モザイクアートプロジェクト」。
今昔モザイクアートプロジェクトは、「埋もれた歴史を掘り起こし、未来に伝えていく 歴史を活用し、価値を生み出す」を理念に、”古写真”と最新のテクノロジーをかけ合わせ、市民協働型の作品を創り上げていくプロジェクトです。

このプロジェクトでは、新潟市の中心地域「にいがた2km」周辺を写した古写真3,000枚(概ね20年以上前に撮影されたもの)と、その「今」を撮影した3,000枚を市民のみなさんから集め、それらを使ってモザイクアートを制作し、作品は市内公共施設に展示、NFT※として販売します。
将来の廃棄を防ぐと共に、歴史を立体的に感じられるアーカイブを市民のみなさんと共に作っていきます。

※NFT…「Non-Fungible Token」の略。ブロックチェーン技術を使用してデジタルアセットを一意に証明するトークンです。これにより、デジタルアートやコレクティブなどの所有権を証明することができます。

ニイガタくん

あなたが持っている”古写真”の「新たな価値」を創造できるかもしれません。
新潟今昔写真が気になった方、プロジェクトに参加をお考えの方は、イベント最新情報もチェックしてみてください。

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 新潟今昔写真note

 

きっかけは母が買ってきた1冊の本

ーー新潟日報メディアネット(旧新潟日報事業社)から発行された「新潟わが青春の街角」が、新潟今昔写真など、富山さんの現在のお仕事につながるルーツだとお聞きしました。

富山聡仁さん:「新潟わが青春の街角」は、僕が10歳のときに母が買ってきた写真集です。幼い頃から、家族・親戚から昔の街の話をよく聞いていましたが、この写真集は、そうした話と僕をさらに深く結びつけてくれました。

子どもだった私にとって、新潟の街は当たり前に道路が舗装され、高いビルが立ち並んでいました。でも、「新潟わが青春の街角」に写っていた1950~60年代の街は、高いビルもなく、木造建造物が当たり前で、舗装されていない道路も多く土埃が舞っていました。当時の私はそれを見て、「晴れた日が続くと大変そうだなあ」と思うこともありましたね。この写真集を手に取ったことで、今の姿とは違う新潟の街、写真集の世界に没入していったんです

ーーそこから新潟今昔写真が始動するまで、何か古い写真を使った活動はされていたのでしょうか?

富山聡仁さん:ずっと古い写真を眺めるのは好きでしたが、新潟今昔写真を始めるまで、何か活動をしようとは思いませんでした。

現在一緒に活動している岩崎さんと、飲みの場で話したことが新潟今昔写真の始まりです。約10年前、僕が東京にいた時に、岩崎さんから古い写真を使った鎌倉での取り組みについて話を聞いたんです。スマホのアプリを作ったり、ワークショップを開いたりする取り組みが鎌倉では既にあり、新潟今昔写真は、その横展開として新潟でもやってみようと始まりました。

人を喜ばせられる仕事を

ーー富山さんは新卒から約10年間、東京で働いていたと伺いました。その間、新潟に戻ることは考えていなかったのですか?

富山聡仁さん:長男でしたが、親から家業を継げと言われたことは一度もなく、私自身も積極的に継ぎたいと思ったことはありませんでした。そのため、学生時代は新潟に戻る選択肢は考えず、東京で就活をしました。しかし、ひょっとしたら新潟に戻って家業を継ぐ可能性もあるのかもしれないと思って、東京で就職するにしても、経営に携われる会社を選んで就活していました。

東京で勤めた会社は大企業で、何十億円もの大きな金額を動かす仕事は、それなりに楽しく、やりがいも感じていました。しかし、自分が取り組んだ仕事の成果が誰に喜ばれているのかが見えづらく、どこか満足できない感覚があったように思います。

いつしか、もっと直接人々の喜ぶ姿が見える、手触り感のある仕事がしたいと考えるようになりました。どうせなら、自分の身近な人に喜んでもらいたい。そう考えた時に、自分の地元である新潟に帰って家業に入りつつ、自分のやりたいことも実現させるという道筋が現実味を帯びてきました。

ーー“誰かに喜んでもらえる仕事”を求める富山さんの価値観は、どこから影響を受けているのでしょうか?

富山聡仁さん:それは考えたことがありませんでした。でも、もしかしたら、これも子どもの頃によく家族から聞いていた話に影響を受けているのかもしれません。私の母方の曾祖父は、新潟三越の前身となった小林百貨店の創業者、小林與八郎という人ですが、地域に根差しお客様に愛されていたデパート経営の話を家族や元従業員の方からたくさん聞いていました。

例えば、1955年の新潟大火で古町一帯が焼け野原になってしまった時、買い物をする場がなくなったことに市民は困っていたそうです。小林百貨店も全焼しましたが、お客様のために物資を買い付け、被災から短期間で営業を再開させたことで、街の方々に大変喜ばれたという話を聞きました。ひょっとすると、このようなエピソードが、私の“地元の人や周りの人に喜んでもらいたい”という気持ちに大きく影響を与えているのかもしれません。

ーーUターンが選択肢に挙がってから実際に移住するまでには、仕事以外にも準備や整理することが多かったのではないでしょうか?

富山聡仁さん:Uターンを本格的に考え始めてからは、仕事の傍ら大学院に通い、経営やビジネスについて勉強しました。

東京で携わっていた仕事は大規模とはいえ、あくまでも組織の一員としてのものであり、自分の意思を反映させて大きく会社を動かすようなものではありませんでした。組織を動かす経験も知識もないのに、新潟に帰っていきなり会社経営ができるのかと、正直怖かったんです。

通っていた大学院では、学生や講師の方たちと、地域のためにどんなことができるのかを議論する場が頻繁にあったので、自分だったら新潟で何がしたいのかを常に考えていました。それと同じ頃に、同様にUターンを検討していた幼稚園の頃からの友人の呼びかけで、東京在住の新潟市出身者が集まって意見交換をするようになりました。その中で岩崎さんと出会い、「新潟今昔写真」の話につながっていきました。

自然体でいられる場所

ーー東京での生活から一転し、新潟にUターンする際、周囲の反応はいかがでしたか?

富山聡仁さん:東京の同僚や周りの人たちからは、「本当に今の仕事を辞めるの?」とたくさん聞かれました。もちろん、私自身も新潟に戻ることについて悩みました。しかし、感じている違和感を無視しながら今の仕事を続けることはできないと思ったんです。それに、自分の仕事が誰かに影響を与えたり、仕事を通じて成し遂げたことを誰かに喜んでもらいたいと考えたとき、絶対に新潟で活動した方が楽しいと感じました。
人に喜んでもらえるとすごく嬉しいですし、それが次の活動のエネルギーになりますよね。これをダイレクトに感じられる場所で仕事をしたかったので、その想いから新潟にUターンする決意を固めました。

ーー実際に富山さんが新潟にUターンして約10年。富山さんが思う“新潟だからできること”とは何でしょうか?

富山聡仁さん:人との距離が近い新潟だからこそ、何かアクションを起こしたときに与えるインパクトが大きいと感じています。新潟今昔写真の活動や家業を通じてそれを実感しています。参加者が喜んでくれることで、次の新しいアクションを起こしたいという意欲が湧いてきます。
新潟は私にとって、自然体でいられる心地よい友達のような存在です。自分が素でいられて、やりたいことをやれている、それが嬉しくて楽しいですね。

ーー富山さんは新潟今昔写真やご自身の家業を通じて、これから新潟に対してどのようなアプローチをしていきたいと考えているのでしょうか?

富山聡仁さん:私は、過去の歴史や先人たちが築いてきた“まち”があるからこそ、今の自分があるという感覚を持っています。それは、幼い頃に家族から昔の街の様子や商売の話を聞いたり、古い写真を眺めたりした経験が影響しているのだと思います。
だからこそ、人々が受け継いできた歴史や文化を絶やすことなく、それらが今も息づいていることが分かるような街づくりをしたいと考えています。そのためには、皆さんに“まち”やその歴史に興味を持ってもらいたい。
しかし、普段何気なく生活していて、歴史に興味を持つきっかけはあまりありません。だからこそ、カジュアルに歴史に触れてもらえる場を作るために、SNSでの発信やスマホアプリ、モザイクアート、NFT、ワークショップなどの仕掛けを用意しています。私が子どもの頃に「新潟わが青春の街角」を眺めて、当時の新潟の“まち”に思いを馳せたように、皆さんにも、写真を通じて“まち”の歴史と触れ合っていただきたいと考えています。

「今昔モザイクアートプロジェクト」は、まちの歴史と現在を一つのアートワークに集約する、
新しい形の市民協働型プロジェクトです。

⚪︎プロジェクトの核心
プロジェクトでは、まちの懐かしい風景を撮影した古写真を使用します。
「昔」が刻まれた古写真を3,000枚、その「今」を撮影した写真を3,000枚、合計6,000枚の写真を組み合わせて壮大なモザイクアートを制作します。

⚪︎参加方法 (詳細は下記にあります)
「昔」の写真(古写真)の提供
「今」を撮るイベントへの参加
その他、技術面でのサポートなど

⚪︎プロジェクトの成果
古写真を使ったモザイクアート制作(唯一無二の作品)と、そのNFT化
市民の参加を仰ぐことで、まちについての想いを深める

⚪︎スケジュール
第1弾: 新潟市中心部「にいがた2km」をテーマにしたモザイクアート制作(2024年)
今後: 他の地域でも同様のプロジェクトを展開予定

⚪︎プロジェクトの意義
市民参加でモザイクアートを創っていくこと。
古写真を通じて、2世代・3世代に亘って歴史について語ったり、学んだりする機会を提供すること。
家庭の押入れに置かれた古写真は、そのままにしておけばいずれ廃棄される可能性が高い。これらを使って作品を創ることで、古写真に刻まれた人々の思い出やまちの歴史を未来に残すこと。
このプロジェクトは、単なるアート制作にとどまらず、多面的な意義を持っています。

皆様のご参加を心よりお待ちしております!!


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