【六張煙管 】煙管職人の岩浪陸さんに聞く、ものづくりに注ぐ想いとは

今回は、キセルを作るために燕市にIターン移住した、若手キセル職人・岩浪陸さんにお話を伺いました。
独学でキセルづくりを学び、知り合いの中で販売をしていた岩浪さん。その腕前が燕市の金物職人との縁を作りだし、現在へとつながりました。

岩浪さんが手がけるキセル【六張煙管 (ロクバリキセル)
繊細な技術の中に荒削りな力強さを感じさせ、キセルマニアの中で徐々に認知が広がりファンも増えてきています。

岩浪さんはどのようにしてキセルと出会い、ここまでの愛情を注ぐようになったのか。
そのお話の中から、キセル作りの先に見る岩浪さんの人生の切り開き方やアツい闘志を覗くことができます。

「人と違う生き方をしたい」と自分の中に反骨心を感じている人に、ぜひ読んでいただきたい記事です。

煙管(キセル)とは

ロクバリキセル3

ところで、みなさんは煙管(キセル)を知っていますか?
現代を生きる人にはあまり馴染みのないものかもしれません。
キセルとは、日本に古くからある刻みタバコ用の喫煙道具の一種で、浮世絵や時代劇などによく登場してくるアレです。

燕市は、キセル職人が多く存在した町であり、200年近くもの古い歴史があります。最盛期には金物作りをしていた人たちの半分以上がキセルを作っていたほどの一大産地でした。
しかし、時代は変わり今では燕市でもキセルを作る職人の数は激減。

それでも「粋」なひとときを堪能できるキセルは、今でも愛煙家たちから根強い人気があります。

 

古き良きものを愛する家庭に生まれ育った

ー岩浪さんはご出身の埼玉県から、Iターンで新潟にいらしたのですよね。

岩浪陸さん:そうです。生まれは埼玉県の浦和市で、4歳のころに飯能市に引っ越しました。
大学では考古学を学ぶために東海大学へ進学し、神奈川にあるキャンパスまで実家からでは片道2時間かかってしまうため、朝霞にある母方の実家で一人暮らしをしていました。

 

ー考古学を学ぼうと思ったきっかけはどこにあったんですか。

岩浪陸さん:もともとは考古学ではなく古生物学の方に興味がありました。小学校の4・5年生の頃から、化石にすごくハマっていて、高校生くらいまで家の近くの川で化石採集をしていたんです。
化石を扱う古生物学は理系なんですが、理系科目に自信がなかったので、大学では文系で且つ古いものを扱う考古学に進む選択をします。

そもそも、古いものが好きという性格には、両親が強く影響しています。
うちの父親はハンコの文字を彫ったりする仕事をしていて、実印に使うような難しい字体をたくさん知っていました。中国で昔使われていた漢字の勉強をしていたりして歴史にまつわる知識も多い人でした。
母親も民族学が好きで、アイヌ民族の話や、アフリカの部族の民族衣装が好きでした。
そういう影響もあって、古いものや未知のものに惹かれるというのは幼少期の頃から形成されてきたのかなと思います

しかも、たまたま引っ越してきた飯能市の家のそばで化石を拾うことができて、趣味にしやすい環境だったんです。

 

 

時間の重みを楽しむことのできるキセル

ロクバリキセル

ー大学院の時にキセルと出会ったのですね

岩浪陸さん:そうですね。ちょうど紙タバコの値段が急騰した時期で、学生だったのでお金もなくて、喫煙することが金銭的に厳しくなったんです。それで、経済的な負担が減るよう、紙タバコからキセルや自分で巻くタイプに変える人が多かったために、自分も変えてみました。

タバコを吸っている人の中にはキセルとか葉巻を吸ってみたいって思っている人も一定数はいると思うんですよ。でも、わざわざ買うのもお金がかかるし、簡単に購入して吸えるようなものでもなかったので手を出さないという人がほとんどだと思うんです。僕もある意味その1人でした。
キセルって江戸時代からある古いもので、遺跡やお墓から発掘されていたりするんですよね。だから考古学ともつながる部分がありました。いわゆる昔の喫煙器具。当時の自分の周囲では誰も持っていないのが魅力に感じて、キセルに変えました

 

ちなみに、最初に買ったキセルはおよそいくらだったのでしょうか。

岩浪陸さん:最初に買ったキセルは、燕市の飯塚さんという職人のキセルで、2万4000円くらいでした。どうせ買うなら 1番いいものと言われてるものを買おうと思ったことがきっかけです。
飯塚さんは、キセルを昔から代々作ってる職人家系の方で、多くのメディアにも取り上げられているようなレジェンド的な方です。

 

ーキセルを吸うために必要な刻みタバコなどはどこで買うことができるんですか。

岩浪陸さん:純粋な国産葉を使った刻みタバコはもう会社としては1社でしか作ってないんです。
というのも、昔からタバコは専売公社という国の管理下の元、製造されてきました。今はもう国じゃなくて民営化されましたけど、その名残がずっと続いているので、国内で刻みタバコの製造は1社しかやっていません。けど、外国で製造されたものも含めればキセル用の刻みタバコも7銘柄くらいあって、今も販売されています

手に入りにくい銘柄は、タバコを専門的に取り扱ってるようなタバコ屋さんにいけば大体売ってます。
本当にタバコ好きの人しか来ない、パイプとか、葉巻とかがずらっと並んでるような専門店ですね。そういうお店は大きい都市とかにしかあまり存在しないのですが。

ロクバリキセルを持っている手

ーすごいですね。キセルにはそこまでしてでも愛煙者を惹きつける格好よさなどがあるんですね。

岩浪陸さん:皆さんそういうのを求めて、買っていただいてると思います。
また、キセルにはサイズの長いものや短いものがあって、長さや太さなどによって、味も変わります。見た目の渋さに加えて、そういった違いなどの奥深さなども魅力のひとつかもしれません

キセルはタバコみたいにフィルターが入ってないので、キセルの内側そのものがフィルター代わりになっています。内側にヤニがつくことによって、タバコの成分が吸収されて味がマイルドになっていくので、長ければ長いほどタバコの成分が付着する面積が広くなって味がマイルドになっていきます。

あとは、煙の温度によっても美味しさの感じ方が変わるので、それも長さや形状によって変わってきます。
昔から女性用のキセルは細長く作られていたりもしました。僕が作ってるキセルは、面白いものを作ろうと思って作ってるものが多くて、変な形のものだったりして、もちろん伝統的なキセルにはない形ですね。

ーキセルにハマり込んだのには具体的にどんな要因があったのでしょうか。

岩浪陸さん:大学生の時に東京オリンピックが開催されるにあたって、関東は特に喫煙に対しての風当たりが強まっていたんです。その時に、周りが禁煙禁煙!というので、それに反発したくて俺は吸うという気持ちが前面に出てしまいました(笑)
タバコユーザーになったのは、そんな幼稚な理由でした(笑)

最近はキセルも吸うし、紙巻きタバコや、手巻きタバコも吸ったりしているんですが、それぞれで喫煙する目的は違う気がしています。
手巻きとか紙巻きは、仕事でストレスが溜まった時とかに吸いたくなります。落ち着くし、気晴らしになるうえに手軽に吸えるので。

キセルの場合は、落ち着かせるというよりはご飯を食べるみたいなことに近い感じがしています。キセルは吸うまでの手間が圧倒的にかかるので、吸うという時間の重みを感じながら楽しむことができます。なのでちょっとした贅沢感覚を味わいながら、趣味としてゆっくり楽しみたい時間にキセルを吸うようにしています。

同じタバコでもユーザーとしては棲み分けながら続けているので、いろんな楽しみ方を堪能できます。また、キセルに関しては、それを作っている僕自身がキセルを吸わないのは格好つかないし、味などにも関わってくると思って吸い続けています(笑)

作業台

 

ー岩浪さんがキセルを作り続ける理由はなんでしょうか。

岩浪陸さん:今、キセルでは正直あまり稼げていなくて。というか、キセル一本で食べていくっていうのがなかなか難しくて。

そういう観点で言うと、普通はみんなやめるんですけど、キセルを作っている人間がそもそもすごく少ないし、若い人なんか尚更いないので、そのうち産業としても無くなってしまうことが切実な問題だと思っていて。自分がそのキセル産業を担いたいと思っているのは動機として大きいかなと思います

また、僕は元々趣味として独学でキセルを作り始めたのですが、当初お金をもらえるようになるのは5年10年先だと思っていたんです。それが実際は3・4ヶ月にして、友人の勧めでEC販売を始めることになり、実際に注文も受けることができたんです。
そのくらいキセルに対する需要があると実感し、これは作り続けなければいけないと覚悟が決まりました。それが、キセルを作り続ける理由ですね。

 

燕市のキセル産業を担いたい

岩浪さんが収集しているキセル(一部)
岩浪さんが研究用に収集したキセル(一部)

 

ー燕市に移住するには、どのような経緯があったのですか。

岩浪陸さん:親交があった愛煙家の紹介で、玉川堂の山田さんにお会いすることができ、新潟に移住したらどうかと言っていただいたことがきっかけで移住を決心しました。僕の場合、地域おこし協力隊などではなくシンプルに空き家を借りて移住をしてきたため、現在は市の埋蔵文化財の研究をする仕事をしている傍らでキセル制作をしています。

キセル職人のレジェンドである飯塚さんや玉川堂の職人の方々からは、適宜アドバイスをいただきにいける環境下にあるので、大変ありがたいです。
しかし、キセルの制作だけではまだまだ生活は成り立たないので、2つの仕事の両立が大変なこともあります。作品展示会の前などは、制作時間がうまく確保できずに追い込まれることもしばしばですね(笑)

 

ー現在の生活を親御さんはどのように見ているのでしょうか。反対などはされなかったですか。

岩浪陸さん:反対は全然なかったですね。むしろ行ってこいって言われました。
両親もものづくりをしている人間なので、玉川堂の方が声をかけてくださったということに意味を感じていました。
本場の人が直接誘ってくれ、受け入れてくれる場所があるなら、それは行ったほうがいいだろうという判断になったんです

 

ー実際にこっちに移住してきてみて、生活面や仕事面でのギャップはありましたか。

岩浪陸さん:悪いギャップはなかったです。そもそもこっちに引っ越してくるときに相当厳しい環境になることを覚悟していたので。
今勤めている市の仕事も、こっちに来る段階では確約があったわけではなくて、移住後の流れで勤務することに決まりました。
来てしばらくは普通にスーパーでアルバイトをしていたんです。賃金も安かったので、生活のためにはそれなりに時間を割かないといけなくて。そこはある意味厳しかったです。

でも、その後市の職員として採用され、そのバックアップもあってテレビに出演させていただいたりもしました。
ここまで色々やってくれるとは思っていなかったので、いい意味でのギャップでしたね。
しいていうならば、悪い意味での誤算はこの天気ですね。
寒さよりも、雨風の強い日や曇りの日が多かったりすることが厳しいです。
関東とは違う天気で、精神的にキツいものがありますね(笑)

ロクバリキセル2

ー今後、岩浪さんがキセルを作っていくうえでの課題はなんですか。

岩浪陸さん:移住してから、色んな人が向こうから関わりに来てくれていたんです。テレビの影響もあって新聞が取り上げてくれたり。しかし、そろそろテレビの効果も切れる頃だろうと思っているので、これからは自分で動かないといけないと思っています。

キセルを広めていったり、売っていったりという部分を、どうやって自分で展開していくかが今後の大きな課題だと思っています。

ECサイトなどに出品するだけだと自分の思いを伝えきれずに浅くなってしまうと感じていて。物事を深く伝えるには、やっぱり自分がキセルと共に表に出ていかないといけなくて。直接イベントなどに出展していかないといけないと思っています。

 

ーなるほど。そのうえで今後の目標を教えてください

岩浪陸さん:まずは僕を受け入れてくれた燕市に貢献していきたいですね。燕市の産業の担い手として認知していただいている以上、やはりその一員として少しでも形を残していきたいです。

同時に、燕市や日本全体のキセル産業はどんどん衰退しているので、いかにキセルを未来へ繋げていけるかということは常に考えていかなければいけないと思っています

そのためにも、行政などのサポートにおんぶに抱っこで甘え続けるわけにはいきません。独り立ちし、後継者として何かを成し遂げていきたいです。

岩浪さんのキセル作りの作業台

 

***

今回は、燕市の若手キセル職人の岩浪陸さんにお話を伺いました。
古き良き文化を愛し、後世に継承していきたいと奮闘を続ける文化の担い手。

岩浪さんの作る六張キセルは、現在東京都内の販売店や、インターネットを通して購入することができます。
伝統的なフォルムを守りつつ、岩浪さんが独学から身につけた工夫が細部にまで施されている作品。

今回の記事で興味を持ってみた方はぜひ、一度お手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

岩浪 陸さん
いわなみ りく|煙管職人


1995年埼玉県生れ。大学生からキセルを愛用。大学院の修了を機にキセル製作の道へ進み、ほぼ独学でキセル作りを学んでいる。21年9月より燕市へ移住。六張煙管の屋号でキセルを製作するほか、骨董のキセルや喫煙具の蒐集家でもある。

六張煙管ECサイト:https://6kiseru.thebase.in/
キセルを購入希望につきましては、Instagram、BASE、TwitterのDMから随時承っております。

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