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閃いたままに、まずやってみよう!株式会社 無計画の原島研一郎さんが体現する、固定概念にとらわれないキャリアとは

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今回は、株式会社 無計画の取締役、原島研一郎さんにお話を伺ってきました。
WEB制作とカレー制作をしている会社である『無計画』さん。

、、謎ですよね!?

この記事では、株式会社 無計画を設立されたひとりである原島さんへの取材で分かった、『無計画』という社名に込めた想いと、これまでの原島さんご自身のキャリアをご紹介します。

遊び尽くした20代。生き方を見直し、デザインの道へ

 

ー「僕らの人生が、そもそも無計画なんです」と語る原島さんですが、実際にはどのようなキャリアを描いてこられたのか、学生時代からお話を伺っても良いでしょうか?

原島 研一郎さん:僕は埼玉の秩父出身なので、気づいたら自然と東京に対する憧れを抱いていました。
進路を意識する頃、ドラマなどの影響で美容師ブームがきていて、僕も興味があったので東京の美容師専門学校に進学することに。

美容師免許は取得したのですが、色々と思うことがあって就職するのは辞め、アルバイトで生活をすることにしました。今となっては、その”思うこと”ってただ自分が若いゆえに尖っていただけなんですけどね(笑)

そのまま25歳までは、本当に遊びが中心の生活でしたね。クラブに通ったり、音楽活動やアパレルブランドを作ってみたり、好きなことをやる日々でした。当時は、生活できる程度のお金をアルバイトで稼いで、遊んで暮らせればいい、と本気で思っていましたし、周りの友人も派手な人が多かったです。

 

ーどうしてそこまで遊びに振り切ったのでしょうか?

原島 研一郎さん:今思えば、目の前のことだけで、未来を見ていなかったんだと思います。

3人兄弟の長男で、幼少期からやりたいことを我慢してしまう子どもだったらしく、その反動で、自由に行動できる歳になってから爆発してしまったのかもしれません。未来を考えたり何かを生み出すより、やりたかったことをやる、ただ遊ぶ時間が欲しかった気がします。

また、両親を見てきて、どこか大人になることに対して、ポジティブではなかったところもあります。

父はとにかく仕事に一生懸命で、人のために家族のために、朝早くから夜遅くまで一生懸命に働く人でした。疲れきって帰ってくるのに、家にいる間はさらに勉強していて。一方で家族サービスなどはほとんどないので、子どもにとっては遠い存在でしたね。

母は、仕事もやりながら家事や子育てをほぼ1人で全てやってくれました。
2人とも、今となってはとても尊敬できる親ですが、子どもの頃は「大人って大変だな」と思っていましたね。

しかし、遊びを中心に置いた生活って、それはそれで、ただ時間を消費するだけの生活だったんですよね。

 

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ーその後、デザインの道へ向かうようになったきっかけはなんだったのでしょう。

原島 研一郎さん:遊ぶために自由な生活をしていたはずが、知り合いが増えたことによる人間関係に縛られるようになっていったんです。それがすごく窮屈で「こんな人生嫌だな」と思い始めました。

20代前半のうちは、就職して仕事の不満をいう友人たちを見て「自分の選択は正しかった」と思っていました。しかし、20代半ばを過ぎると、そんな友人たちは積み重ねてきた経験が厚みになっていて、自分の薄っぺらさを痛感するようになったんです。

ようやく人生について真剣に考えるようになり、自分も何かを習得して、それを伸ばしていく人生を送りたいと思うようになりました。

そこで、遊びの延長でグッズをデザインすることがあったり、絵を描くのが元々好きだったりすることもあり、これなら好きなことを仕事にできる、とデザインの道を志すようになりました。

 

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ー20代半ばで、人生を見つめ直すことになったのですね。

原島 研一郎さん:そうですね。不思議なことに、絡まった人間関係を切ると、大切な友人との繋がりだけが残ったんです。

その友人たちには、相談して背中を押されたり刺激を受けたりすることが多くありました。中でも、自分の軸がしっかりあって夢を追い続けている、とある友人の存在は、僕に1番影響を与えてくれましたね。自分が心から尊敬できる友人が、あの時そばにいてくれたことが何よりのラッキーポイントでした

両親も、しっかり叱ってくれましたし、人生の先輩として相談にものってくれました。自分なりに考えて、学び直すと決めたときは、とても応援してくれましたね。
自分を信じてくれている家族や友人のおかげで、生き方を見直して、改めることができたと思っています

 

遅めの「社会人デビュー」

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ーやりたいことで”学び直し”。可能性に対する期待や焦りなどが入り混じっていそうですが、当時の心境はいかがでしたか?

原島 研一郎さん:どちらもあって複雑でしたね。
半年間の職業訓練プログラムを利用して学び直したのですが、卒業後の就職先なども無事に見つかるか不安で、「採用してくれるならなんでもやります!」という気持ちでいました。

運よく地元のデザイン事務所の営業として就職先を見つけることができたんです。デザインをやりたい気持ちはありましたが「採用していただけるなら、まず営業からでも!」と入社しました。

その会社では、営業としてクライアントから聞き出してきたことをデザイナーへ繋ぐ役目をしていたので、言うならばデザインディレクターのような仕事をするようになっていきました。

 

ー営業として入社したことで、デザイナーではなく、思いがけずデザインディレクターになっていったのですね。それは、「飛び級・スキップできた」とイメージしてしまうのですが?

原島 研一郎さん:「ディレクター」と聞くと、そう思えてしまいますが、先輩などに教えてもらえるわけではなく、自分で学んでいくような環境だったので、常に「これで良いのかな」と不安はありましたね。

自分で自分をプロとは思えていない状況だったので、「もっとスキルを磨きたい」と思って、再び上京することを決めました。
既に30歳半ばで、遅めの再スタートでしたね。

 

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ープロフェッショナルを目指せる環境を求めて株式会社LIG(*1)に入社したのですね。

原島 研一郎さん:株式会社LIGは個性の強いメンバーが多く、まるでサーカスのような会社でしたが、世界的な賞を狙うようなトップレベルのスキルを持ったプロたちが揃っている会社でした。

僕は運よく仲間に入れてもらうことができたのですが、スキルは圧倒的に足りなかったので、その人たちと一緒に仕事をし続けるために必死で食らいつきました

LIGは、みな一流のプロフェッショナルです。経験が多い少ないなんてお客様には関係なく、LIGとして一流のものを提供しようとする意識で統一されていたので、僕自身そういった意識の部分から根本的に教え込まれましたね。

めちゃくちゃ怒られもしましたけど、少しずつできることが増えていって、4年目の頃には堂々と「僕はディレクターです」と名乗れるようになっていた気がします。

*1 システム開発・Web制作・マーケティング支援を中心とした、DX支援を行う企業。詳しくはこちらをチェック⇨「【最新版】株式会社LIGってどんな会社?

 

ー実際に株式会社LIGで働いてから、原島さんの思う「プロフェッショナル」に変化はありましたか?

原島 研一郎さん:入社前に思い描いていたのは「職人」としてのプロで、他の誰よりも緻密で丁寧な仕事ができる人でした。
でも今は、「結果が出せる人」こそがプロだと思っています。

それに気づくまでは過程にこだわっていたのですが、毎回同じものを提供すればいいわけではないことに気づかされ、お客さんに合わせて調整して、結果に繋げられてこそプロだと学びましたね。

漠然としたものを漠然のままにさせず、ビジョンを一緒に描いて、必要なことをやる。例えば、デザインができるだけのデザイナーでは仕事はもらえなくて、デザインのスキルを使って、お客さんのやりたいことを実現するのがデザイナーです。

これはきっと他の仕事でもそうで、自分のスキルを使ってお客さんに何を提供できるのかが大事だと思いますね。

 

QOLを上げるため、新潟へ。

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ーところで、原島さんはどうして新潟に移住してきたのでしょうか?

原島 研一郎さん:コロナが流行し始めた頃、いち早く会社がリモートワークに切り替わって、同僚の森山と小松と「もう東京にいる必要ないんじゃない」と話していたことがきっかけですね。東京で高い家賃を払い続けるよりも、明らかにQOL(クオリティ オブ ライフ=生活の質)が上がる選択だと考えたんです。

2時間くらいで東京に行ける距離感の都市を探していて、「ちょうどいい!」と思ったのが新潟でした。
食の宝庫だし、海も山もあるし、やりたいことができて、生活が充実するんじゃないかって。

早速、同僚3人でレンタカーを借りて2泊3日で新潟を訪れて、そのまま物件も見せてもらいました。そしたら自分たちにぴったりの間取りの物件があって、すぐに契約したんです(笑)街を歩いていても、温かい人と出会うことが多くて、なにか縁を感じたので。

 

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ー会社設立に至ったのはどうしてですか?

原島 研一郎さん:そんな中で森山が、独立して起業したらどうかと言い出しました。起業がしたい!というより、自分たちのスキルを活かして仕事をしつつ、遊ぶ時間も含めて、もっと自由な活動ができたらと、生活を豊かにするための選択でもあったのですが。

ただ当時、僕はそんなに自信がなかったので起業に乗り気ではなく、まずは社外取締役(非常勤役員)という形でジョインすることにしました。でも、LIGが変革期を迎えていたことと、自分自身も着実にステップアップできている実感が持てるようになっていたことが、決意の後押しになりましたね。

 

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ーなるほど!ちなみに、どうして「無計画」という社名にしたんですか?

原島 研一郎さん:どうせならインパクトのあるものにしたいのと、自分たちらしさ、自分たちの成し遂げたいことを考えたときにも、一番ぴったりの名前だったからです。

僕たちの強みは、閃いたことをすぐに実行できることです。そのためには固定概念を持たず、実現するために必要なことだけをやる必要があります。だからこそ、一歩踏み出せない人の後押しができる存在でいたいとも思っています。

そういった考えから、「まずはやってみよう」「ゼロから作り出してみよう」という意味を込めて「無計画」にしました。なので、実は計画的な狙いが結構詰まった会社名なんです。

 

ー原島さんがこれからしていきたいことや、その軸になっているものを教えてください。

原島 研一郎さん:これまでの経験をもって感じていることは、場所やモノのためにではなく”人のために仕事をしていきたい”という思いです。それは自分のスキルを生かす上での軸だと思っています。

また、新潟に移住してみて、新潟っていい人が多いなと感じているんです。だから今まで3年間、特に人間関係で嫌な思いもせずに楽しく過ごせているんだと思います。

だから、今後は県外からきた僕たちの視点を活かして、新潟で出会った人に貢献したいですね。
新潟の良さも、もっと発信していきたいと思っています。米かお酒か、何か新潟を象徴する物産をアピールする仕事に携われたら嬉しいですね。外から来た人の目線を活かして、新しい価値が生み出せるかもしれないと思っています。

 

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***

 

今回は、株式会社 無計画の取締役、原島研一郎さんにお話を伺ってきました。

ご自身のペースでやりたいことを見つけてこられた原島さんだからこそ、固定概念を持たずに挑戦することの重要性を理解しているのかもしれません。『無計画』の3文字の深みに触れたような気がします。

さて、今度は無計画の代表 森山さんに、カレーの秘密についてお話を伺ってきたいな(笑)

 

原島 研一郎さん
はらしま けんいちろう|経営者


1983年埼玉県生まれ。グラフィックデザイン会社(コア)に5年、WEB制作会社(LIG)に5年と、埼玉県の自治体様からナショナルクライアント様まで、幅広く様々なクリエイティブ制作業務にディレクターとして従事。コロナを機に新潟へ同僚と移住、現在は「株式会社無計画」の取締役 兼 ディレクターとなる。会社の文化である「よく働き、よく遊び、よく学ぶ」を人生のテーマに絶賛活動中。
株式会社 無計画HP:https://mukeikaku.co.jp/

   
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What's ”niigatabase”?

niigatabaseは、新潟の未来を変えることもないでしょうし、新潟の課題を解決する力も絶対にありません。
ただ、新潟で普通に日常を送っている人がniigatabaseを読んで、 いつも行っているカフェやレストランの人に「どうしてここでお店やっているんですか?」って話しかけたり、 仕事で出会った人やご近所さんに「どんな学生時代すごしていたんですか?」って突っ込んだ質問してみたり、、、、
日常がちょっと踏み込んだ場所で繰り広げられるようになったら面白いなあと淡い期待を抱いています。 新潟ってなんもないよね、でもちょっと知ってみると意外な面白さあるよね、そう感じる人が一人でも増えたら嬉しいです。