文脈をつなぎ、そこにしかない価値をデザインする。松浦柊太朗さんの原体験と今

matsuura-syutaro1

今回は、デザイン会社U・STYLEのディレクター松浦柊太朗さんにお話を伺ってきました。

デザインする仕事
そう聞くと、パッケージやロゴ、イラストなどを想像しがちですが、実はそこには目的設定や計画策定、仕様表現という一連のプロセスが含まれています。
そんなデザインの領域から、人と土地、過去と現在、そして未来をつなぐ様々な取り組みをされているデザイン会社U・STYLE(以下、U・STYLE)、そして松浦柊太朗さん。
今につながる原体験と今後について、お話していただきました。

 

そこにいる人や景色が、まちのカルチャーを作り出す

tsuura-syutaro
大学生時代の松浦柊太朗さん

ー松浦さんはどんな幼少期を過ごしたのでしょうか。

松浦柊太朗さん:子供のころはやんちゃな子でした。外で遊んだりスポーツをするのが好きで、小学生から大学卒業までずっとサッカーを続けていました。

デザインを専門的に勉強することはありませんでしたが、母がデザインに関係する仕事をしていたので、少なからずその影響は受けていたと思います。母は僕が幼少の時にデザイン学校に通って勉強したそうです。その時の記憶はさすがにないですが、”デザイン”が常に身近にあったように思います。

 

大学は美術系ではないのですよね。スポーツをずっと続けられており、現在とはガラッと系統が違うようにお見受けしますが、デザインの道へ進むことになったきっかけはなんだったのでしょうか。

松浦柊太朗さん:僕は上京してからずっと下北沢に住んでいたのですが、下北沢は自由で多様なカルチャーを受け入れる街でした。大学サッカーを通して人間的に成長させてもらいながら、暮らしの場からは自由で個性が輝く文化の影響を受けていました。

ちょうど同じ時期に”規律を重んじる体育会系の世界”と”多様な個性や感性が尊重される世界”を両方体験できたことが、デザインの道へ進むきっかけのひとつになった気がします。

 

ーサッカー部員としての活動の中でも、デザイン関係の学生さんと絡むことがあったそうですね。

松浦柊太朗さん:大学4年の時、選手としても活動しながら関東大学サッカー連盟(以下、学連)の担当として運営側もやっていました。大学サッカーは学生主体で運営していて、そこにはリーグ戦や全国大会の運営を行う担当が、各チームから数名ずつ集まっていたんです。

学連の同期には、何か新しいことをやりたいと思っている面白いメンバーが揃っていました。

そこで、全国大会の運営やプロモーション活動で「大学サッカー×◯◯」という掛け算を色々な分野と行うことにしました。僕はそのときに美大生と一緒に、プロモーション映像やノベルティを制作して、とてもいい刺激を受けたんです

この経験も、モノやコトの魅力をクリエイティブに伝える仕事の楽しさを実感できる機会になったのだと思います。

また、下北沢には小規模な劇場やライブハウスが多いことから、そういう表現されたものや表現している人に出会う機会が多くありました。これもまたクリエイティブな楽しさが実感できて、デザインの世界に入っていくきっかけになったのかもしれません。

この頃に下北沢を好きになり、街の文化に触れながら暮らしたことがきっかけで、他の地域でも人やカルチャーがつくり出す街の姿を見る視点が持てるようになったかなと思いますね。

 

繋いできたものを、より良く、繋いでゆく

shimokitazawa

 

ーそれほど好きだった下北沢ですが、就職を機に離れる選択をしたのですよね。当時はどんな思いでしたか?

松浦柊太朗さん:大学時代は映画が好きで、毎日TSUTAYAで何本も映画を借りて観ていたくらいで、映画業界に入りたいと思っていたんです。映画会社でのインターンシップにも参加をしましたが、現場に入ってみると僕が勝手に想像していた世界とは少し違って、自分には合わないと感じる部分も見えてきたんです。

一方で、下北沢や大学サッカーでの経験から、デザインの仕事に魅力を感じていました。考えてみたら「デザインの世界に挑戦できる場が近くにあるぞ」と気づいて、新潟に帰ってくることを決めました。ちょうど母が地域ブランディングの活動を始めた頃でしたが、僕は地域のデザインをやりたいというわけではなく、クリエイティブなもので何かを伝えたり、売ったりしたいということが軸にありました。ざっくりとデザインに携わりたかったものの、あまり深くは考えてなかったですね。

 

ー自分の親と働くことって難しくはないですか?

松浦柊太朗さん:もちろん難しい部分はあります。でも逆に、それが推進力を高める時もあるかなとも思います。

話が少しずれてしまいますが、僕自身”ファミリービジネス”に関心を持っていて、去年ファミリービジネスデザインラボという取り組みを社内で立ち上げました。大きく活動しているわけではないですが、ファミリービジネスの研究をしていこうかなと思っています。

joetsu-yasuzuka1

ー「ファミリービジネスを研究する」とは、どういうことでしょう?

松浦柊太朗さん:例えば造園屋さんや工務店さんなど、その土地で何十年または百年以上も続いてきたような事業が、地域にはいくつもあるじゃないですか。そういう事業って家族で繋いできたところも多くて、その1つ1つが集まって土地の文化を形成してきたんだと思うんです。

その地域らしさって、先人たちが何代も繋いできた技術や思想が生み出している側面も大きいと思っていて、その価値は高いと思っています。ただ、大きく時代が転換する中で継承の課題が出てきたり、事業自体の変革が必要となってきたりするケースが見受けられます。

繋いできたものが何も残されることなく途絶えてしまうのは、地域にとっても大きな損失ですよね。ゼロからイチを作り出すことも素晴らしいことですが、今あるものをよりよく繋いでゆくことも等しく価値があると思うんです。

僕はデザインの視点から、ファミリービジネスに携わる人々と同じ境遇や気持ちを共有しながら、繋いできた文脈をちゃんと繋げるようにサポートしたいと思っています。日本の約99%が中小企業で、そのうち97%以上がファミリービジネスと言われています。ということは、ファミリービジネスそのものが良くなる環境になっていけば、日本全体が良くなることに繋がります。地方に多くのファミリービジネス企業がありますが、継ぎたくないとか継がせたくないとかで、事業をたたんでしまうことを決めているケースもよく見受けられます。

でも、ファミリービジネスの価値が高まることで、最終的に家業を継ぐことが目標となったり、誇りとなったりする可能性があるかもしれません。そうなれば、一度地元を離れて経験を積んで戻ってくる選択もされやすくなる。自分の家の事業に誇りを持って携われれば、事業自体も良くなっていきます。結果的に人口流出も抑えられるかもしれませんね。そういう風に社会全体が良くなっていくといいな、という理想を、今はぼけっと頭に描いています。

 

ー地域をデザインしたり、ファミリービジネスを研究することってデザイン会社の事業としては新しい領域のように感じます。

松浦柊太朗さん:デザインが果たすべき役割は時代や社会の変化とともに変化します。デザインが今の時代でどのような役割を果たすべきなのか、社会でどのような価値を生み出せるのか、広い視野で考えて、向き合う必要があると考えています。地域のデザインやファミリービジネスの研究も、今の時代や社会におけるデザインの役割と考えれば、特別なことではないと思います。

そこにあるもの全てが生き生きしている、そういう場所で暮らしていきたい

toyano-lagoon1

 

U・STYLEといえば、ブランディング事業以外にも、ローカルデザインにおける取り組みも注目を集めています。ここでいう、その土地の課題やちょっとした“ひっかかり”は、どのように見つけ、デザインしているのでしょうか。
(U・STYLEによるローカルデザインとは、具体的には上越市安塚における里山の価値創出プロジェクトや新潟市鳥屋野潟周辺でのブランディング活動のことである。詳しくはこちら⇨https://u-style-niigata.com/design/

松浦柊太朗さん:僕らはその土地に身を置いて、そこから課題や価値を肌感覚も含めて感じとるために、その場所に出向きます。鳥屋野潟周辺のブランディングに関していうと、例えば、地域の人のもとを訪れて話を聞いたり、漁師さんが「船出すよ」と教えてくれたら一緒に乗せてもらったり、冬になったらみんなで白鳥観察に行ったりして、誰よりもまず僕らが鳥屋野潟の歴史や文脈に触れます。

そして、歴史の語り継ぎ本『潟ボーイ’s』『潟ガール’s』として地域の小学生たちの手元に渡ったり、「TOYANOGATA PICKNIC(鳥屋野潟ピックニック)」といった舟に乗りながら鳥屋野潟のゴミ拾いをするアクティビティ体験などの機会として、その土地にたしかに存在する価値をつなぎ、残し、高めていきます。

里山ボタニカル事業も実際に自分たちで米づくりや植生や暮らしの研究をしながら、現場に身を置いて見えてくることから活動を展開しています。「とりあえずやってみる」ということに、ハードルが高くない会社だと思うので、日常の気づきを持ち込むこともできますし、それを楽しむこともできる場所ですね。

toyano-activity
「TOYANOGATA PICKNIC」で鳥屋野潟のゴミ拾いアクティビティをしている様子

ー「潟マルシェ」もそういったところから始まったひとつなのでしょうか。
(潟マルシェとは、松浦さんたちが運営する新潟市の中心部にある水辺「とやの潟」のほとりで開催されるローカルマーケット。詳しくはこちら→https://gatamarche.com/

松浦柊太朗さん:潟マルシェもそうですね。今年はテーマを新しく再設定してみようと考えているんです。

2018年から昨年まではエシカル&クラフトライフマーケットっていうテーマにしていたんですが、今年からは”継承”に紐づくようなテーマにしようと思っています。

新潟で素敵なマーケットやイベントが増えている中で、わざわざ潟マルシェに来ていただく意味ってなんだろう、と考えているんです。U・STYLEのデザイン活動のひとつでもあり、そこで共通するテーマは「つなぐ」なのかなと思います。

 

gata-marche1
「潟マルシェ」の様子

 

ー松浦さん自身の今後の挑戦、向かうところはどこでしょうか。

松浦柊太朗さん:やはり「文脈をつなぐ」ということでしょうかね。そこに関わっていきたいし、挑戦していきたいと思っています。

僕にはまだ経験も知識も少ないので、勉強しないといけないですね。様々な経験をしながら視点や力を身につけていって、それを社会にも、地域にも、クライアントにも還元できる状態をつくっていきたいと思っています。

大きな未来を描いているというよりも、目の前のことに向かって、まずは挑戦してみるという感じです。

 

下北沢に住んでいた頃、人が生き生きしているように感じていました。その光景が僕にとっての原体験なんです。

そういう場所で自分も暮らしていたいなと思いますし、そのためには自分自身もその構成要素の1つとして、生き生きとしていられるようにありたいと思っています。自分にとっての1番大きいテーマはそこですね。

toyano-lagoon2

***

今回お話を伺ったのは、デザイン会社U・STYLEのディレクター松浦柊太朗さん。

あらゆるものには、それを繋いできた歴史がある。
それらを丁寧に見つめ、文脈を一つ一つ繋いでゆく。
デザインの力で、今まで全く気づかれていなかったものに価値が生まれる。

デザインの幅広い領域や、ローカルとの融合にこれからも注目していきたいですね。

 

松浦柊太朗さん
まつうら しゅうたろう|ディレクター


1992年、新潟市生まれ。デザイン会社U・STYLEのディレクター。
「文脈から未来をつくるデザイン」を軸に、あらゆる存在が生き生きとした社会をめざす。

デザイン会社U・STYLE 公式HP:https://u-style-niigata.com/