世界最新の打楽器ハンドパンを世界一の技術で作る!燕三条にIターンした時田清正さんの夢は

ハンドパン奏者時田さんサムネイル

世界最新の打楽器、”ハンドパンって知っていますか。
2001年にスイスで生まれたこの打楽器は、中華鍋を繋ぎ合わせたような斬新な形をしています。
一見UFOのようなハンドパンですが、ひとたび叩くと一瞬で人を虜にするような神秘的な音色を奏でます。

そんなハンドパンを、世界に通ずる技術のまち燕三条で制作する20代の若者がいます。茨城県出身の25歳、時田清正さん。自身も自ら演奏することで、ハンドパンの周知活動にも積極的に挑戦中。

約4年前に三条市の地域おこし協力隊として移住してきた時田さんは、どのようにこの世界最新の打楽器ハンドパンと出会い、燕三条の町で挑戦を続けているのか、そのエピソードから時田さんの人生で大切にしたいことに迫ります。

 

神秘の打楽器!ハンドパンの魅力とは

ーハンドパンとはどんな楽器なんですか?

時田清正さん:ハンドパンは2001年に生まれた、まだ歴史の浅い楽器です。2枚のドーム型の薄い鉄板を繋ぎ合わせて作られており、独特な形状をしています。
ハンドパンの音色を聞いたことはありますか?まずは、ぜひ聞いてみてほしいです。


ーすごくきれいな音色ですね。このハンドパンも時田さんの手作りなんですよね!どの部分を叩いて音を出しているのですか?

時田清正さん:楕円の部分を叩いており、音の強弱は叩く強さで調整しています。ハンドパンによって出せる音の種類が違うので、1つ1つ音色のイメージが全然違います。僕が作った楽器も、こっちは明るい音、こっちは暗い音というように違う音が出ます。

 

ー初心者が演奏するには難しいのでしょうか。

時田清正さん:初心者でもすぐにマスターすることができる打楽器です。
ハンドパンはドレミファソラシドの中からいくつかの音を省いて作っているので、足りない音もあります。世に出ているすべての曲を演奏できる訳ではありませんが、ハンドパンはどこを叩いてもほとんど不協和音とはならないので、音の組み合わせなどでいくらでもアレンジすることができます。

また、演奏テクニックはシンプルですので、楽譜を見なくても演奏することができます。

 

ーハンドパンを作っているメーカーは世界にどのくらいあるのですか。

時田清正さん:ハンドパンを製作している会社は世界で200社未満です。国内だと現在僕を含めて5人が製作しています。

国内流通が少ないため、現状だとハンドパンは海外から購入する事が多いようです。しかし、とてもデリケートな楽器なので、音の調律をしてもらうために海外へ送り、戻ってきたら既にチューニングが狂っていた、ということもあるようです。

国内でハンドパンを製作している人たちのほとんどは、ハンドパン奏者から、製作者になっています。演奏経験がない中で、完全独学で制作を始めたのは僕くらいじゃないでしょうか。

 

ー時田さんの考えるハンドパンの魅力とはなんですか。

時田清正さん:この見た目からは想像つかないような優しい音色が魅力ですね。どの音域もなんともいえない心地よい音が出ますし、響きも好きです。
そして、初心者でも簡単に始められるのも魅力のひとつだと思います。最初は音を鳴らすことが難しいという方もいますが、30分やって鳴らせなかった人は見たことないので、誰でも演奏できると思います。楽譜がいらないというのも大きな利点ですね。
どこを叩いても不協和音にならずに演奏できる点では、子どもから高齢者までもが扱いやすい楽器ということだと思います。

ただ、デリケートすぎるところはネックかもしれません。ハンドパンを雑に扱っていると形が変形して音が変わってしまいます。板も1番薄いところだと0.9mmくらいの薄さなので、頑丈なケースに入れて運ばないといけません。

 

ー「ハンドパン」の楽器自体は知っていても、「価格が高そう」などのイメージを持たれている方も多いそうですね。

時田清正さん:ハンドパンを始めるハードルとして、1番に挙げられるものは価格ですよね。僕が作るハンドパンは、9音で約22万5,000円です。まえに200社の平均価格を調べたことがあるんですけど、おおよそ35万〜40万円でした。だから、僕の作るハンドパンは平均より安い方ではあるんです。

しかし、国内にハンドパンメーカーが無いために、海外から中古品でチューニングがズレてしまったハンドパンや、既にメーカー自体がなくなってアフターサービスをしてもらえないメーカーの品物も入ってきています。中古はどんなに安くても、後々の調律費用などを考えると僕だったら選びません。

確かに初心者の方にとっては、いきなりハンドパンを新品で買うことはハードルが高いかもしれません。その場合は、まずはハンドパンの演奏体験会やイベントなどに参加して、ハンドパン奏者のコミュニティに先に入ってみるのもいいかもしれません。

また、響楽舎はハンドパンに興味関心を持ってくれた方への工場見学なども受け入れていますので、ぜひ気軽にDMなどでご連絡いただけると嬉しいですね。

 

日本一になれたら、きっと面白いんじゃないか

作業中の時田さん2

ーどうしてハンドパンを製作をしようと思ったんですか。

時田清正さん:高校の同級生である久保田リョウヘイ君が、高校時代から既にハンドパン奏者として活動していたんです。元々、僕はリョウヘイ君の演奏を聞いたことがあったし「面白い楽器だな〜」と思っていたんです(笑)

しかし、後々にそのハンドパンの構造に興味が出てきて、こんな綺麗な音が出ることも不思議だし、自分で作ってみたいと思うようになりました。

そもそもハンドパンという楽器自体が2001年に生まれたばかりで、当時国内のハンドパン製作者は日本に1人しかいませんでした。その1人は欧州に修行に行き、技術を身につけてきた方いわばパイオニアです。だから、完全独学での製作者第1号になれたら面白いなと思ったんです。

 

ーハンドパンを独学で制作し始めたんですね。

時田清正さん:そうですね。まずはハンドパン奏者の久保田リョウヘイ君に、2年ぶりくらいに連絡をとり「ハンドパンを作りたいんだけど、知り合いで作れそうな場所持ってる人いる?」と聞いたら、ちょうど彼が新潟でライブをした直後で、「燕三条なら作れるかもしれない」と返答がきたんです。すぐに燕三条について調べてみると、地域おこし協力隊の募集が目に留まり、即申し込みをして移住してきました。

 

ー地域おこし協力隊としての活動はどうでしたか。

時田清正さん:国内で数少ないハンドパン制作を燕三条で取り組むことにより、地域の産業の将来性を広げられるとプレゼンをして、地域おこし協力隊を勝ち取りました。しかし、いざ地域おこし協力隊として働きはじめると、ハンドパン制作以外の行政のお仕事もそれなりにあって、うまく時間を使えずに苦戦しました。

地域おこし協力隊として3年間働きましたが、当然辞めてからのほうが製作に使える時間が増えたので、そこでやっと製作に集中できるようになりました。

移住した最初の1・2年は、なんとかハンドパンの形を完成させたとしても全く音が鳴らなかったりの連続でした。2年間でトータル160作近く試作して、90作目くらいまでは完全に失敗作でしたね。

そのころに師匠(渡邉和也さん)と出会い、技術指導を受けながら少しずつ上達していきました。

 

ーハンドパンを独学で、どうやって作っていたのですか。

時田清正さん:移住した最初の1年はドラム缶から作ってました。産業廃棄場からドラム缶をもらってきて、それを叩いて凹ませ、周りを切って整えながらこの形を作っていました。後々、材料を購入できるようになったのですが、理想とする音が全然鳴らず、最近になってようやく納得いく音が出せるようになってきましたね。

ハンドパン制作(響楽舎)

ーハンドパン1個の製作にどれくらいの時間がかかるのでしょうか。

時田清正さん:ドラム缶の時は全部手作業なので1〜2ヶ月くらいかかっていました。今も販売用は約1ヶ月かけて作ってますが、研究用のハンドパンでしたら月4台くらい作ってます。

約2年前に、渋谷ヒカリエで全国各地の若手職人の作品展示会に出展させていただいたのですが、その準備期間に3ヶ月しかないということだったので、3ヶ月で12個作ったんです。その時からこのペースで作れるようになりましたね。

当時は、右手を酷使しすぎてマメが潰れて痛かったり、握力がなくなって工具を振れなくなったりしてしまったので、ガムテープで工具を手に巻き付けて制作をしていました。この経験のお陰で、いろいろ限界を超えられましたし、左右両効きになりました(笑)

 

ーそのストイックさは、前職が自衛隊だったことに由来しているのでしょうか。

時田清正さん:そうかもしれないですね。僕は元々、戦車を操縦してみたいという気持ちから、高校卒業後に陸上自衛隊へ入隊しました。操縦士の適性も認められたので、念願叶って戦車を操縦していたのですが、怪我をしてしまったことで除隊することになりました。自衛隊は自分にとっては楽しくて性格も合っていたので、怪我をしていなかったらまだ続けていたと思います。

 

ー戦車に乗りたかったのは、作ったり動かしたりすることが好きだったからですか。

時田清正さん:昔から機械をバラバラにしたり、乗り物を操縦したりすることが好きだったからですね。
自衛隊を辞めてからは自然の中で働きたいと思い、茨城ヘ戻って林業に携わりました。不要な木を間引いたり、切った木を運び出して柱にしたり、枝の先まできちんと処理して木炭にしたりしていました。大掛かりな山の手入れみたいなことですね。

こちらも、仕事としては自由で楽しかったのですが収入がすごく低くて。将来性を見いだせなくて悩んでいた時に、ハンドパンを作ってみたいと考えるようになりました。誰にもできないことをやりたいと思ったんです。

 

ー時田さんが今もなお、燕三条の地でハンドパンを作り続ける理由とはなんでしょうか。

時田清正さん:最初は自己満足で作っていたんですよ。日本一になったらかっこいいな、くらいの気持ちで。しかし、師匠に育ててもらったり、地元の企業さんにも分からないことを教えてもらいながら制作をしていくうちに、いまや自己満足で終われなくなってしまいました。

燕市の市長さんに表敬訪問させていただいたこともありますし、いま注文を待ってくれている方もいます。自己満足だったらいつ辞めてもいいですけど、理解者や応援者、共感者がいてくれる限りはここでハンドパンを作り続けようと決意しています。

 

ー「最初は自己満足だった」とおっしゃいましたが、締め切りや目標もない中でこの仕事を続けてきたことの精神的な支えになってるものはなんだったのでしょうか。

時田清正さん:自分がやると決めたからやっている、という感じです。自衛隊の経験も影響していたり、元々の気質もあったりするのだと思いますが。
海外メーカーで音が響かせられているのに、自分が作っているもので響かせられないのはおかしいってずっと思っていました。そんな反骨心のようなものが支えとなっているかもしれません。

作業中の時田さん

 

人と被らない、自分の道を切り開くスタイルのルーツは

ー小さい頃はどんな性格だったのでしょうか。

時田清正さん:僕は親の仕事の関係で、幼い頃は転勤族で引っ越しを繰り返していたために、あまり友達ができず1人遊びが多い性格でした。
小学生の頃に親が転職をしたことで引っ越しは無くなりましたが、両親が行き着いたのが茨城県の超田舎町でした。スーパーまで40分、隣の家まで2kmあるような(笑)田舎でのんびりしたいという両親の考えだったのですが、極端だなと思いますね。

やはり友達はあまりできなかったので、誰にもない特技を身につけたら人気者になれるかなと思って、クリスマスにギターを買ってもらって独学で弾き始めました。これが僕の音楽の始まりですね。

 

ー当時、独学でギターをマスターするにあたってどんなやり方をとったのでしょうか。

時田清正さん:うちは両親も音楽をやっている人ではないので、楽譜も読めませんでした。耳で聞いた音を真似して、弾いて、を繰り返して弾けるようになりました。原始的な方法ですね(笑)
その時の反復学習が、ハンドパンを作り始めた時に生きた感じはあると思います。

 

ー時田さんがいま目指してる到達点はどこですか。

時田清正さん:ハンドパンの製作で日本一になって、まだ誰も見たことない景色を見に行けるようにしたいです。いまはその景色を見れるように頑張っています。なので、いまはひたすら製作の技術的なところ、人との関わり方も含めて気をつけながら頑張りたいです。

ハンドパン制作途中

 

***

 

今回は、燕三条にIターンしたハンドパン製作【響楽舎】の時田清正さんにお話を伺いました。

困難の壁を乗り換えて、時田さんが挑戦を続けていること、それを応援する渡邉和也師匠をはじめとする素晴らしい大人たちがいることに、終始胸が熱くなる取材でした。

「人ができないことができたら、かっこいいんじゃないか」
ありがちな考えですが、これを貫くには信念が必要になります。

自分の中の、何を信じるか
自分以外の、誰を信じるか
その”信念”を探すこと自体だって、そんなに容易いことではないですよね。

失敗して、騙されて、勘違いして、やり直して、
いろんな修正を繰り返して、自分の中の強い信念を見出して
挑戦を続ける時田さんの意地に、勇気や力を分けてもらうことができました。

いまも100%理想とする音や響きは作れていないという時田さん。
これからどんな音色が作り出されていくのか、楽しみです。

 

時田 清正さん
ときた きよまさ|ハンドパン製作者


1998年生まれ。東京都出身、茨城県育ち。高校卒業後に陸上自衛隊に入隊。怪我を機に除隊後、林業に従事する。2020年、三条市地域おこし協力隊として移住。現在は燕市にある、鍛工舎にてハンドパン制作の響楽舎として活動中。
響楽舎公式サイト:https://handpankyogakusha.myshopify.com/

関連記事

庭を眺めていると、心が安らいで心身ともに癒されますよね。 カリカリしていたり、心に余裕がない時って、身近にある樹木をわざわざ見ようと意識なんてしませんし、目に入ってもなんとも思わないことがほとんどです。 しかし、疲れて帰った自宅に自[…]

室橋拓弥さん
しゃべりおbase

旅をする意味、旅をする価値ってなんだろう…。『旅人』という生き方が確立されつつある現代で、最前線で走り続けるKEIさん旅…