NINNO ACCADEMIA立役者の坂田さんに聞く!新潟でイノベーションを起こし続ける原動力とは

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今回は、BSNアイネットの執行役員である坂田源彦さんに取材をしてきました。

BSNアイネットでイノベーション推進室長としてさまざまなところと新潟をつなぐ役目を果たされてきた傍ら、近年はNINNOを通じて新潟で数々のイノベーションを起こしてきました。

中でも、2023年7月に本格始動するNINNO ACCADEMIA(ニーノ アカデミア)に関する動きの多くは坂田さんが中心となって取り組んでいること。

18年前に縁あって新潟へIターンをされた坂田さんですが、組織人でありながら、ここまで新潟のイノベーションにコミットできているのはなぜなのでしょうか。坂田さん自身を動かすパッションはどこに由来しているのでしょうか、その疑問をもとにお話を伺ってきました。

 

新潟だからできること、できないこと

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ー約18年前、新潟の自然に魅力を感じて移住を決断したとお聞きしました。実際にIターンを決断した頃のお話をもう少し詳しくお聞きしても良いでしょうか?

坂田源彦さん:私は元々、東京の外資系IT企業で働いていたので、勤務スタイルは比較的自由な働き方をしていたんです。

当時から外資系企業は成果主義だったため、好きな場所で働くことができる環境や補助体制が整っていたんです。約20年前の当時は、まだワーケーションやテレワークという呼び方はありませんでしたが、私はその環境を存分に活用して、週の半分はワーケーションをしに新潟に来ているスタイルをとっていました

具体的には、金曜日に新潟に来て仕事をして、そのまま週末を過ごし、月曜か火曜に新潟から新幹線で東京へ出勤するという生活でしたね。

しかし、その会社がM&Aされたことをきっかけに、新しい仕事や生活スタイルを考えるようになりました。

 

ー約18年前に転職を伴う地方移住。都会で外資系企業に勤務していた坂田さんにとっては、圧倒的に魅力が少なかったのではないかと思いますが、なぜその選択を選んだのでしょうか。

坂田源彦さん:まず私的な事情として、子育て環境を新潟に求めていたことが大きいですね。母を早くに亡くしたこともあり、私の実家がある横浜で子どもを育てるのではなく、奥さんの実家がある新潟で子育てがしたいと思ったんです。

仕事は最初、大手企業の新潟支社への転職を考えていましたが、BSNアイネットを紹介してもらい、入社を決めました。外資系企業に勤めていたことで得た知識や繋がりを活かして、優れたものを新潟に持って来る、という仕事を任せていただけることが、とても魅力的だったんです。自分の興味のある、好きなことをやらせていただけているので、気がつけば18年も働き続けていますね。

実はIターン当時は、独立も視野に入れていました。IT系企業の立ち上げか、新しく輸入商品店を起業してもいいなと思い、講座を受講したりもしていました。しかし、友人も親戚もいない状況で、たった1人での起業はハードルが高く、結局違う道を選択したんです。もし知り合いが多く、かつ起業家自体も多い東京だったら、起業していたかもしれません。

 

新潟は、自分自身は、どこまでいけるのか

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ーBSNアイネットでは「イノベーション推進室長」として、加えて近年では「NINNOイノベーション担当」として次々と新しい事業に関わっていく坂田さんですが、その原動力は何なのでしょうか?

坂田源彦さん:新潟にいても、これだけのことができる」と示したい、っていう使命感が原動力になっていると思います。

実家が横浜にあるので、親戚は首都圏にしかいなくて、知人や友人も首都圏に多いです。彼らからすると、「新潟にいないで戻ってきなよ」という温度感なんですね。移住を決めたときも、そんな言葉をよくもらいました。
だから、そのイメージを見直してもらうためにも、なにかを成し遂げたいという気持ちは強いです。地方での大きな成果を見せて、彼らの”新潟”や”地方”に対する見方を変えたいんです

 

ー特に最近コミットされておられるのは、NINNO ACCADEMIA関連の動きといったところでしょうか。

坂田源彦さん:そうですね。IT人材を育成する、というシンプルな目的がNINNO ACCADEMIAの原点です。
企業誘致が進み、新潟のIT人材を求める需要が高まる中で、実は人材が足りなくなってきているんです。このままでは人材の引っ張り合いになって、企業誘致も進まなくなってしまいます。
そこで、特定の企業の色を出すのではない、オープンな空間としての学びの場の立ち上げに繋がっていきました。今後、新潟発の活躍するIT人材が育って欲しいと思っています。

でも、立ち上げのきっかけは大したものではなくて。最初は、せっかく作るNINNO3の会議室をより活用していただくためにはどうしたら良いのかと考え、学びの場を提供しようかとアイディアが出てきたんです。
それならば、活気がある場所にしたい、高校生も来れるようなオープンな環境にしたい、と構想を練っていくうちに、その理想は会議室だけではなく、施設全体に広がって。

構想を説明して、仲間集めをしていくうちに、どんどん関わってくれる方々も増えていって、誰もが初めての取り組みに情熱をもって取り組んでくれているほどの展開となりました。1人ではできると思っていなかったことが、周囲の協力でついに実現した、という感じです。企業・省庁も、事業に価値を見出してくれていて、他の地域には例を見ない結束力が生まれているように感じています。

 

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NINNO3を会場に、学生〜社会人まで幅広い方を対象とした学びの場を提供する人材育成プログラム。
リスキリング(学び直し)が重要視されている昨今、『NINNO ACCADEMIA』の開講は県内外から注目を集めています。
あらゆるフェーズの企業や人材が集まっているプラーカ圏内での循環型エコシステムの構築は、新潟の学び・交流・移住・起業へ繋がる環境づくりを醸成し、地域活性化へ繋がることが期待されています。

 

ーNINNO ACCADEMIAには驚くほどの企業・省庁が携わっていますね。坂田さんにとっても、これまで以上に大掛かりな挑戦なのではないでしょうか?

坂田源彦さん:そうですね。行政も、大学も、金融機関も巻き込んだ、ここまで大きな事業に取り組むのは初めてです。私個人はもちろん、BSNアイネット単独でも、ここまでのことはできませんので、会社から好きにやらせてもらったからこそNINNOでも活動ができ、今回のことも実現できたわけですから、有難いですね。

 

私欲ではない、互いのWINで新潟を前進させる

ー”好きにさせてもらえる”って凄いことですよね。ニュアンスとしては”好き勝手”という意味ではなく”自由で柔軟なイノベーションを任されている”といった具合でしょうか?

坂田源彦さん:そうですね。今はNINNO ACCADEMIAに関わることが5割、BSNアイネットに関わることが2割、残りの3割は他のこと、くらいの時間の使い方をしています。
ですが、どの取り組みにしても、大小あれど自社ビジネスを関連させているので、結果的には会社の利益にも繋がっています。好きなことばかりしてはいますが、ビジネスとしての視点は持ち続けています。

常に、関係してくれる方々それぞれにメリットがあって、お互いWin-Winになるようには心がけているのですが、それは多分、BSNアイネットに入ってから、いろんなところに散った外資系企業の同僚たちや企業を繋ぐ役割を担ってきた中で身についた姿勢かもしれません。

 

ーイノベーションを展開していく中で、多方面の方々の理解や賛同を集めるために、意識していることはありますか?

坂田源彦さん:気遣いとわがままのバランスでしょうか。

例えば、初回は必ず対面で会って、信頼を構築するようにしています。相手にメリットを感じてもらえるようにしつつ、背景にある思いもしっかりと伝えるよう気を遣います。

加えて、何かしらの「初めて」や「最大」を用意することは意識していますね。それが協力や賛同を決めるきっかけになるとも思うんです。わがままも、もちろん自分や自社のためだけのわがままは聞いてもらえません。事業に巻き込んだ相手にもメリットのあるわがままだけを言わせてもらっています。

そして、やはり根底にあるのは「新潟でもここまでできるぞ!」という信条なんです。だからきっと主語や着地が”自分”ではなくて”新潟”なんです。それによって私の話すことの狙いがニュートラルに見えているのではないかなと思います
これだけのイノベーションって、きっと新潟だからできたことだと思います。もし都会だったら埋まっていく一方で、人との繋がりやアクティブな動きも取れていなかったんじゃないかなと感じますね。

 

坂田 源彦
さかた もとひこ|会社役員


幼少期をスペインで過ごし、外資系IT企業 Sun microsystems を経て、新潟へIターン。BSNアイネットでは先端技術を活用する新サービス設計のSEを経て、現在SN@P新潟、NINNO、I-DeAなどの拠点を活用し、地域課題解決 x IT をテーマにコンソ型プロジェクトを手掛ける執行役員。